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wish
 

part.2

風華の大学へ進学した静留は、寮を出て一人暮らしを始めた。
大学まで電車で1駅。歩けない距離でもない。大きな繁華街へは逆方向へ1駅。
最寄りの駅前は商店街が開けているが小さな街だ。

改札を抜け、まだ店も開け切らないアーケードを、なつきは真直ぐに歩く。
最近、静留と出かける時はいつも歩きだった。
静留の部屋まで迎えに行って、お茶を一杯、一緒に飲んで。
それから街へ出る。気が向けば散歩がてら二人で歩いて。
ライディング・スーツを着るには暑い季節だから。


「オートバイ、変えたんやね」
静留は深い紺色のドゥカティを一目見て、いつもの穏やかな口調でそう言った。
なつきは道の向こうに視線を向け、ああ、とだけ答えた。
バイクを静留に見せるのは抵抗があった。何故なのかなつき自身も判らない。
だから静留の方を見ずに、いつものように「うちのためどすか?」とか「乗せてくれはる?」とか、そんなからかう口調で続く言葉を漠然と待っていた。
言葉は続かなかった。
沈黙を怪訝に思って振り向くと、静留はただ、どこか遠い目でバイクを見つめていた。


──聞かれたら、私はなんと答えたんだろう?
ふと思い付いた疑問に、なつきは立ち止まった。不意に落ち着かない気分になる。
人影を感じて視線を向けると、まだ開いていない店のショーウィンドウに自分の姿が映っている。
それは何だか困惑した表情で、じっと自分を見返していた。
自分の心まで映すように。




駅から5分程のマンションの周りは、一転して静かな佇まいである。
休日ということも相まって、いつも以上に車通りがなく、喧噪も遠い。
開け放った窓のレースのカーテンが、真夏の風に揺れている。その風が、静留の服の裾を揺らして吹き抜ける。薄青のワンピースは涼し気で、気温もまだそう高くなかった。

コン コン コン

ノックが3回。名を呼び掛けるような、なつきの音。
そんな些細なことにまで、心が揺れる。
(なんやうち、まだあかんかも‥‥)
窓辺近くに立っていた静留は、そう思いながらも玄関へと迎えに出る。

「おはようさん‥‥て、なつき、どないしたん?」

笑顔の仮面の出来を気にするより先に、静留はあっけに取られてしまった。
珍しい事に、なつきが膝に両手をついて肩で息をしている。

「‥‥アイス‥‥溶けるかと‥‥思って‥‥」
「走って来やはったん?」
「‥‥。」

左手を膝についたまま、俯いたなつきは息を整えながら、無言で右手のコンビニの袋を差し出す。仕舞え、ということらしい。
取り合えず上がるように告げて、静留は袋を受け取って台所へ向かい、途中で居間の箪笥に寄ってタオルを片手に戻ってくる。
髪に熱が篭って暑いのだろう。なつきは両手で髪を後ろへ流した。

不意に広がった乱れ髪。その香り。

一瞬、ぎくりと静留は止まる。暗い夢が過る。間が悪すぎる。
大丈夫。気づかれてはいない。
笑顔を繕い平静を装って、なつきにタオルを渡した。

「なんならお風呂、使うて?」

それだけ言うのに、内心なんだかとてもぎくしゃくした。
自分に嫌悪を覚える。
ひとりになりたい。唐突にそう思う。

「顔だけ洗わせてくれ」

普段鍛えているせいか、もうなつきの汗は止まったようだった。
息が上がっていたのは本当に僅かの間らしい。余程いきなり走ってきたのだろう。
受け取ったタオルを片手に、勝手知ったる様子でなつきは洗面台へ向かう。

なつきは何も気づいていない。別に気づかなくて普通なのだ。
ずっとこうやって隠してきたのだから。
汗に湿った髪を肌から掬ってこの手で梳きたい。
そのまま頬に手を添えて口付けたい。どんなにか熱いだろう。
だから安堵する。なつきがここにいないことに。
──今は、無理に笑顔でいなくていい。

埒の無い事を思いながら、ゆるゆると静留は窓際に向かう。
窓に直角に設えたソファーに所在なく座り込む。
部屋の奥、洗面台の方から、水音が聞こえてくる。
その音に背を向け、窓から吹き込んでくる風に向かう。溢れ出した思考は止まらない。

以前なら、冗談に紛らわせてなつきに触れる事もできたのだ。
伝わるはずはない。気づいて欲しい。叶う事など有り得ない。
ないまぜの想いのままでも、触れたくてどうしようもない気持ちを冗談でくるんでしまえた。
そしてふざけた振りをして、想いを紛らわせることもできたのだ。
でも今はもう、冗談に紛れて触れる事すらできない。
なつきは自分の想いを知っている。
嫌がられても傷つかないくらい、冗談の冗談でしか、なつきに触れることはない。
これならば嫌がられて当たり前。そう思ってでなければ心を守れない。
その冗談ですら、身を引くなつきに、どこかで傷つくくらいなのだ。
そうまでしてでも、なつきを近くに感じたいのか、と自嘲する。
そうだ、と自嘲し返すしかない。

「静留」

背後からのはっきりした声に静留は反射的に振り向く。
同時に、自分が失敗を犯したことに気づいた。声は問い掛けではなく呼び掛け。
水音などはとうになく、いつから立っていたのか、洗面を終えて部屋の奥から、なつきがじっと静留を見つめていた。
返事をし損なっていたのかも知れない。

「あ、もう終わったん?」
「ああ。ありがとう」

なつきの視線は外れない。
手にしていたタオルで顎の辺りを拭き直し、静かに静留を見つめ続けている。
何か尋ねられたのだろうか。

「なんどすか? うち、ちょう寝不足なんよ。暑かったさかい」

聞いていない質問には答えられない。こんな躱し方なら慣れていた。
堪忍な、と言いながら、普段の自分を思い出し、いつもならもうお茶を出しているだろうことに思い至ってソファーから立ち上がる。
自分がなつきから少し距離を取ってすれ違っていることに、静留は気づかなかった。

「待っとってな、今お茶の用意するさかい」
「疲れているなら、今日は止めるか?」

え? と振り返りざま、静留は思わず止まってしまった。
強い視線のままのなつきが、真直ぐに静留の瞳を見つめていた。
どくん、と鳴った心臓の音に、思わず身が引ける。なつきが静留の方へ身体を向けたせいか、思いの他の至近距離だった。
最近、こんなに真直ぐ見つめてくるなつきを静留は思い出せない。

「買い物なら今日でなくてもいいだろう。顔色が悪い」

そうしたい。それは嫌だ。
なつきは優しい。なつきは冷たい。
問うように微かに傾げられた顔。
そんな目で、そんな風に畳み掛けられたら断れない。そうやね、と。

「嫌や」

誰の声だか分らなかった。ごろん、と転がったそれは、渇いて掠れて重かった。
なつきは僅かに眉を上げた。一番驚いていたのは静留だった。

「今日、どうしても欲しいもんがあるんよ」

言葉を繋いで目を逸らし、できるだけゆったり見えるように台所に逃げ込む。
声音の意味の重さは隠しようがなかった。
気まずいまま彷徨った視線に冷蔵庫が映る。
そういえば、なつきは汗をかいてまでアイスを買って来ていた。
正直、話題が変われば何でも良かった。

「せや、なつき、アイス食べたかったんやないん?」

神経質になった静留の背中が、ぱさり、と何かの音を捉えた。

「──買い物は止めだ」

唐突にそんな勝手な声がする。静留が抗議しようと振り向くと視界になつきの姿はない。なつきに貸したタオルがソファーの背もたれに投げられている。慌てて台所を出ると、なつきは玄関で靴を履いていた。

「なつき」

いかんといて。側に居って。
そんな言葉が言えるなら、初めから困りはしない。なつきはもう扉を開いている。

「一度戻る。着替えておけ。30分で迎えに来る」



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