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wish
 

part.1

ドゥカティのシートをタンデムに変えた。

私は1人でいたし、誰かと共にある時間なんて考える余裕はなかった。
でも、今は。
全て終わった今は、1人くらいはいいかな、と。
漠然と思ってパーツを注文し、バイクをメンテナンスに出した。

別に誰を乗せる訳でも無い。
舞衣はバイクを見かけて
「なんかちょっと雰囲気変わったよね?」と聞いてきた。
「パーツを少し代えたんだ」
そうなんだ?とあまりバイクに詳しく無さそうな彼女は言葉を切る。
無理矢理頼まれて、後ろに乗せた事もあったんだがな、と思い出したが、どうでもいいことだった。
じゃあな、と、湾岸へ遠乗りに出る。

潮の香りの中、久しぶりの赤信号で停車した。
繁華街を外れた、海沿いの国道へ抜ける三叉路。
白い陽射しに揺らぐアスファルト。誰も渡らない無人の横断歩道がシールド越しにも眩しい。
歩行者の青信号をちらりと目の端で確認し、身体をほぐすために手を後ろに組む。
思いきり反らした腰の後ろには、呆気無い程の空間があってちょっと驚き、なつきは小さく苦笑する。

そんな、タンデムシートの微妙な違和感にも、そのうち慣れた。




避けられた手。夜闇になお艶やかな黒髪が乱れる。

『たとえ恨まれても』

悲鳴。それは否定。そして拒絶。
叩き付けられた絶対の嫌悪。分っていたはず。

『うちのもんにしてみせます』

何より、怯えた瞳。似合わない。なつきにそんな瞳は。それなのに。

『あんたはうちのもんや』

自分の想いと存在こそが、求めて止まない強い光を殺す。
その、一番疎ましく思っていた事実。

『うちが守ったるさかいに』

いつでもなつきを見ていた。なつきしか見ていなかった。
でもそれは‥‥

赤黒い焔に取り巻かれ、不意に心臓を鷲掴みにされた。
そうとしか言い様のない、息もつけない締め付けるような痛み。

──なつき‥‥ そんなに、うちが嫌い?

こぼれた吐息はそれでも真実。
ぐちゃりと握りつぶされた心臓。漆黒に限り無く近い闇。



気がつくと夏掛けをぎっしり握りしめていた。食い込んだ指先が痛い。
知らず止まっていた呼吸。気づいた途端に身体は咳き込むように息をつく。
わずかに安堵する。ゆっくりと指を開くと、両手は細かく震えていた。
髪に篭った熱と、ぬるりとする首筋。寝汗で肌に張り付いた寝巻きが不快だった。

(なんや‥‥夢やったん‥‥)

なつきが、うちを。うちの手を。
断片的に夢を思い出し、静留は酷く緩慢な動作でベッドの上に身を起こす。
全身が強ばっている。ぐっしょりと濡れた背中がすぅっと冷えた。
まだ片隅に眠気はあるが、このまま眠り続ける気になれない。
もう、あんな夢を見たくない。

‥‥ちがう。うちがなつきを傷つけたんや。
判っとる。

なつきは今までと変わらず、友人として付き合ってくれる。
静留にしても、我を忘れてなつきを求める気は毛頭無い。
拒絶される事に耐えられるはずも無い。
あの時そうであったように。
そして何より、なつきは心をくれた。
静留が望む形とは異なっていたけれど、紛れようもない真直ぐな心を。

──せやのに‥‥息が‥‥よぉつけん‥‥

強く目蓋を閉じ、両手で意味もなく口元を被う。
寒くもないのに指先に息をつく。まだ指先は震えている。
欲しいのは両方なのだ。

「ほんま‥‥強欲やね‥‥」

隠れた口元から、苦い笑いと小さな呟きが洩れた。
前よりよっぽど欲深くなっている。
以前は心も身体も彷徨っていた。
なつきは命を賭けて自分に心の証を示してくれた。
なつきにとって特別な場所に、一番近しい所に自分はいる、と。
そう応えてもらったのに。
一度はそれに満足したはずなのに。
なのにそれでは足りないと、気がつけば心も身体も疼き続けている。
こんな思いがいつまで続くのか。
どこまで浅ましくなれば終わりが来るのか‥‥

ピピピピピ‥‥、という電子音に、堂々回りをしていた静留の思考が途切れる。
カーテン越しにも明るい部屋の中、音のした方に視線をやると、サイドボードの上の時計が8時を指していた。
気づけば、静留は夢にうなされて目覚め、ベッドの上に身体を起こしたままだっだ。
休日だったので、ゆっくり寝ようと思って遅めの時間に目覚ましをセットしていたのだ。結局、本来の役には立たなかったが。
目覚めたのは多分明け方だ。あんなに汗をかいたままで、冬なら風邪をひいていた。
己の物思いに自嘲的な小さな溜め息をひとつこぼし、極薄い紫の寝巻きの胸元を左手で合わせ、右手を伸ばしてアラームを止める。朝から酷く疲れていた。

あかん、今日、出掛けるんやった。

時計の日付けと思い浮かんだなつきの姿に、無意識に、静留はふと優しい瞳で笑ってしまう。
素直で艶やかな黒髪。真直ぐな視線と、強い自負を伺わせる小さな笑み。

こんなん、見せられへんな──

なつきが迎えに来る前に気持ちを切り換えようと、静留は重い身体のまま浴室へ向かった。



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