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風の向かいに、ぽつんと佇んでいる姿がある。
和服を着こなした、背筋の伸びた綺麗な後ろ姿。薄茶の長い髪を靡かせた横顔は空を少し見上げている。その風の源に何かがあるかのように、どこか遠くを見ている。

側に行こうと思って急に気がついた。
足が動かない。
おかしい。動くはずだ。
なのに酷く重くて、何かに押さえ付けられたように動かせない。
息苦しいほど迷う。どうして動かない。

もどかしくて焦りながら視線を上げると、佇んでいる姿は何か透明な結晶の中にある。長い長い沈黙を続けて風の源を見つめ続けている。

手を伸ばそうとした。延ばせるはずだった。
どうして。なぜ動かない。どうして身体の自由が利かない。
焦燥しながら困惑する。
身体が動かせない。自由にならない。
そんなこと考えたこともなかった。

風の彼方を見つめていた視線が、ふと疲れたように落ちる。
睫が伏せられてゆく。

閉じるな、閉じないでくれと叫ぼうとしても声が出ない。
息が止まってもいい。一言でいい。
なのに世界は無音で届かない。
心がもがき苦しんでも手も足も動かせない。動かない。
気が付けば透明な結晶の中に捕らえられていた。
おかしい。そんなものはない。目に見えない。
苛立って焦って迷って悩む。
解らない。そんなはずはない。
でも縛られている。動けない。

佇んでいた姿が睫を伏せて俯いた。
唐突に細かな緑の光の粒子がその姿を包む。

喉が裂けてもよかった。
虚空。何ひとつ音は無い。届かない。
裏切った。嘘だった。
違う。違うはずだ。違ったはずだ。
虚実。虚偽。虚言。
声は出ない。動かない。動けない。
口も喉も腕も手も指も足も膝も腿も肩も。何ひとつ。
消える消えてしまう‥‥!
無音のまま動けないまま叫んでいた。


──目が、覚めた。
泣いていた。



気に食わない人間ほど目に付くものなのか。
退屈な授業を抜け出して、教師の目を避けながら奈緒が学園内を歩いていると長い黒髪が目に付いた。

ほんっとに髪だけは綺麗よね。

どんな手入れしたらあんなになるのよ、と、どうでもいいことを思いながら足を進める。向かっている方向に相手がいるのだから仕方がない。4限を外でサボるには、この季節、手ぶらでは寒い。

「ちょっと。邪魔なんだけど」

プールの建物脇に設えられた自動販売機の前に立っているなつきに奈緒は声を掛けた。

「なんだおまえか」
「買う気がないんなら退いてくれる?」
「あ、すまない」

なつきは素直に自動販売機の前から退いた。

「なに、気持ち悪いわね。私が先に来たんだとか言わない訳?」
「ああ?」

なんだか張り合いがない。どうでもいいか、と奈緒はポケットから財布を出して紅茶を買った。取り出した缶は良く暖まって熱い。
小銭を自動販売機に入れたなつきは並んだ缶を眺めている。

「‥‥‥」

見ていてイライラする。
悪戯心だったのか、単純に困らせたかったのか自分でもよく解らない。
手を上げかけたなつきの横から、つい、と手を伸ばして奈緒は自動販売機のボタンを押した。
冷たい物が無かったのが残念だ。

がしゃん、と落ちて来た缶の音に、なつきの声が被る。

「何をする!」
「アンタ、それ見てたでしょうが。なんで他のもん選ぶ訳? 見ててイラつくんだよね」
「私の勝手だ」
「は。ばっかじゃないの」

なつきはそれ以上言い返して来ない。黙って自動販売機から缶を取り出している。増々調子が狂う。この腑抜けた様子を見れば相手がどんな状態だか誰だって解る。

どうせこいつの悩みなんて藤乃のことだろうし。

「アンタ、非常識な癖に変なトコ頭硬いわよね」
「誰が非常識だ」
「ヘルメットがないからバイクに乗せないとか言っちゃってさあ」
「危ないだろうが」
「はいはい勝手にしてよ。付き合ってらんないわ」

これ以上話しても無駄だ。こいつは本当にとことん鈍い。
まったく、こんなの好きになったあの女も大変よねえ。

それこそどうでもいい。紅茶を片手に、奈緒はなつきを置いてその場を後にした。自分がなつきに対してだけは妙にお節介なのには、今日も目を瞑る。

ま、からかい甲斐ないとつまんないじゃない?



手元に残されたココアの缶。
熱いので制服の袖を少し掌の方へ引いて缶を包み込む。服越しにじんわりと熱が伝わってくる。
なつきは奈緒の立ち去った方を一瞥すると微かに息を吐いた。確かにこれを見ていた。まったく人のことを良く見ている。

缶を手に、なつきは適当に道を戻りながら落ち着ける場所を探した。
暫く歩いて、陽の当たっている誰も居ない四阿の壁に寄り掛かる。
夜半からまた雨になるとの予報だったが、今は晴れていた。冬の淡い陽射し。

ココアの缶を眺めながら、考えていたのは静留のこと。

一緒にいるのは義理でも義務でもない。自分で望んだ。
たとえ静留を傷付けてもと。
誰より大事で大切で、一番の親友だが、友と呼ぶには近い。
母や姉といった家族の身替わりでもあるようで。
けれど抱え切れないほどの負い目もあって。

それから?

「‥‥‥」

ぼんやり空を見上げて考え込んでいたなつきは、顔を足元に向けると茫漠とした息を吐いた。風がないとはいえ、二月の外はやっぱり寒い。

  アンタ、非常識な癖に変なトコ頭硬いわよね

思い出した奈緒の言葉が何故か深く胸に刺さった。
悪かったな、と小さく口に出してみる。

今年は静留にチョコレートを貰えなかった。くだらないと口にし、ただのイベントだと解っているのに気持ちに引っ掛かっている。そう思ってしまうことに嫌気がさす。自分に苛立ちを覚えて眉間に皺が寄る。
奈緒が笑っているようで、悪かったな、となつきはもう一度心の中で呟いた。

手にしたまますっかり忘れていたココアを二三度振ると、なつきはプルトップを引いて口を付けた。缶はまだ暖かいのに中身は相当冷めてしまっていた。

「‥‥‥」

放っておけば、熱は失われてゆく。
静留に髪にキスをされなくなったのはいつからだろう。
最近、送らせてくれないような気がするのは。
どうしてそれを言い出せない。

「‥‥‥」

答えを出せないまま、なつきは深い溜め息を吐いた。

少し、流すか。

ぬるくなったココアを一気に飲み干して、四阿を後にする。
先週末、机の中の箱に気付いて、今度でいいか、とそのまま置いて来た自分をなつきは何となく思い出した。



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