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無数の銀の針が斜に降り落ちる。
日が暮れれば霙か雪になるかと思うほど寒い日だった。横殴りという程ではないが、風も強い。

寝室で制服から厚手の生成りのセーターに着替え、素足のままジーンズに履き替えてなつきは身震いをした。 肩から肘にかけて鳥肌が立つ。洗い晒した布地が冷えた太腿に硬い。箪笥から靴下を出し、少し爪先立ちながら肩を竦めてリビングに戻ろうとして、なつきはふとベッドの上を眺め眉を顰めた。
気を抜いているとすぐに忘れる。

ベッドに広げていた制服をぞんざいにハンガーに掛け、脱ぎ散らかしていたパーカーを掴むと無造作に洗濯籠に投げ込む。ベッドの上からさっき取り出した靴下を左手で拾い上げ、一度寝室をぐるりと見渡す。濡れた制服を置いてしまったせいで、ベッドの水色のシーツの上に、薄らと色が濃くなった部分が出来ている。それ以外にも枕元に雑誌が置いてあったり、布団がやや乱れていたり、洗濯籠から服が溢れかけていたりするが、見た目は一応いつもより片付いている。
取り合えず目を瞑ることにして、出そうになる溜め息ごと、なつきはばさりと髪を右手で払った。髪の先が雨で濡れている。雫の残った指先から視線を一度窓に移して、雨音だけが響く中、なつきはリビングに向かった。

帰宅早々にスイッチを入れ、最大まで設定温度を上げていたエアコンは、やっと部屋を暖め出したくらいだったが、寝室よりはマシだった。
ダークブルーのソファーの上に投げ出された数着の上着。その横の、帰って来て放り出したマフラーと鞄に嘆息し、ローテーブルの上のゲームの攻略本とゲームソフト、バイク雑誌、新聞受けに入っていたチラシやDM、それにインスタント食品の残骸をうんざりしながら眺める。気が付けば埃のように物が積もっている。
どうしてこうなるのかと、自分のことながら疑問に思いつつ、一旦ソファーに座って靴下を穿き、なつきはカップ麺のゴミを捨てに行った。

もう部屋では何一つしない方がいっそいいのではないかと考えながら、散らかったものを取り合えず移動する。床にも数冊散らばっているバイク雑誌を纏めて、どこに置いていいのか解らず途方に暮れた。考え倦ねて結局部屋の隅に積む。

使ったら使いっぱなしの性癖に加えて、目的意識も片付けた後のイメージも持たずに、ただ物を移動しているので片付かない上に散らかり易いのだが、掃除が苦手ななつきはそれに気付かない。それでも最近は頑張って、静留が来る日は虚しい格闘をここ一月ほど続けていた。肝心の自分自身の住み心地の良さなどそっちのけで、せめて静留の試験期間が終わるまではと頑張ったつもりだった。

まだ夕方なのにぐったりして、なつきはソファーに座り込んだ。片付けたつもりでも、どことなく部屋は雑然としている。平たく積もった埃に指で一本線をつけてしまい、返って汚れが目立つような感じ。自分の部屋なのに何だか全然落ち着かない。

窓からは強い雨音が聞こえてくる。まだ五時前だったが、外はもう暗かった。
溜め息を吐きながら、なつきは傍らの鞄を引き寄せた。
これもここではなく──

「?」

いつもより少し膨らんでいる若干湿った鞄に、なつきは少し目を上げる。それから、ああ、と気がついた。貰ったまま忘れて、ずっと机の中に置きっぱなしになっていたのを持って帰ってきたのだった。
鞄から取り出した箱を見ると、英語と並んで見慣れない文字が混ざる横文字が印刷されていた。ポットとカップと固形物の簡略図が書いてある。どうやら飲み方らしい。箱を表に返すと、暖かそうなホットチョコレートの商品写真。
まだ少し寒いし、丁度いいから飲んでみようかと思い立ち、なつきはふと時計を見た。
静留が来る約束の時間まで後30分ほど。
外はとても冷えた。きっと静留も寒いだろうから、どうせなら一緒に飲もうと少し晴れた気分で考えて、箱の「CHOCOLATE」の文字に視線が止まった。

今日は2月14日だ。
流石に今では何の日か解っている。いや、意味は前から知っているにはいた。
その日に誘われる意味、と言った方が正しいのかも知れない。
先週末、その日で試験が終わるから一緒に食事をしたいと静留が言った時も、そういう意味かなと思った。

「‥‥‥」

クリスマスなら誕生日。初詣なら年の初めで。
でも、こういう日は、何かが浮き彫りになる。
俯き加減に手元の箱の文字を眺めているなつきの脳裏に、静留の姿が過る。
これを一緒に飲もうと出したら、あいつはどういう意味だと思うだろう。

だがまあ、義理チョコとか言うのもあるし。

──義理?

「‥‥‥」

なつきは背凭れにどっさりと身を預け、箱を手にしたまま両腕を背凭れの縁に広げて大きく息を吐き、天井を見上げた。

馬鹿らしい。
大体、ただ今日は寒いから、一緒に飲もうと思っただけじゃないか。

ぼんやり天井を見上げながら、なんだかこの部屋は自分のようだ、とどこか疲れた頭でなつきは漠然と考えた。片付けても片付けても、いつの間にか散らかってすっきりと綺麗にならない。
打ち切るように背凭れから身を起こすと、なつきはもう一度窓の方を見た。
寒いな、と苦いようにひとりごちた言葉は鈍い雨音の中に消えていった。



なつきの運んで来た、ローテーブルの上のコーヒーカップからは甘い香りが立ち上っている。おおきに、と礼を言って、静留は横に座るなつきの方を見た。

「ええ匂いやねえ」
「冷えるからな」

カップの方を向いたままの、どこか静かななつきの声。

「暖まる」

最近、なつきは何か考え込むようで元気がないように見える。
もっとも、気付かれないように距離を取っているのだから、内心でぎこちないのはお互い様かも知れない。

「せやね。なつき、バイクで出掛けるとよう飲んではったし」
「寒い時はコーヒーよりココアの方がいい」

何でもないことのようにそう言って、なつきは自分のカップに手を伸ばす。
バイクで出掛けると、なつきはよく休憩時に、暖まるから、と何だか嬉しそうにココアを飲んでいた。ココアは子供っぽいとでも思っているのか、それとも甘い物は自分のイメージではないと考えているのか、飲む理由を見つけて喜んでいるようにも見えて微笑ましかった。

「ほんまはコーヒーより好きなん違うん?」
「別に」

含み笑いで静留が言うと、目を合わせずにふいとそっぽを向いて、なつきはカップに口を付けた。なつきから視線を戻し、ほんの僅か考えるような表情で静留は、頂きます、とカップを取ろうとした。
そのまま、これ、うちに? と冗談を言おうとした時、なつきの声がした。

「へえ。旨いなこれ」
「買うてきはったんやないん?」
「いや、貰った」

静留の手が一瞬止まった。
同性へ宛てた物なら今日の贈り物の大半はコミュニケーションの為のものだと身を持って知っている。それでも、余計なお世話だとは解っているが、あまりいい趣味だとは思えない。
やんわりそう言おうとして、きっと深い意味などないと考えながらも、ただ、自分の為に用意してくれたのだと思いたかっただけだと気が付いた。もっと言えば、たとえお遊びでも自分以外から受け取って欲しくもない。貰った物を自分に供しても。

幾重にか重なって痛んだ胸に薄く笑って、溜め息を吐きたいような気分で静留はカップを手に取った。一口含むと、よくあるココアと呼ぶにはとても濃い、カカオの苦味のしっかりした深い味がした。

「ん。ほんまやわ。美味し」

カップが冷えた指先に熱い。うん、と呟くなつきの声を聞きながら、静留は部屋に視線を移した。

無理をしなくてもいい、となつきに言われた頃からだろうか。訪ねて来ると、なつきの部屋は割と綺麗だ。何となく居心地が悪いのはそのせいかも知れない。
どうしたのかと笑って尋ねても、自分の部屋だしな、と今更のような返事しか返ってこなかった。
なつきの部屋に仲の良い友達が遊びに来ることも、自分で部屋を片付けるようになったのもなつきにとって良いことなのだ。でもそれを素直に喜べない。

横を見ると、なつきは何か考え込むように前を見つめて、ゆっくりココアを飲んでいる。
近頃は部屋を訪れると、こうして飲み物を用意してくれたりもする。その変化がよく解らない。

気のせいかも知れないが、何となく感じるものがあってそれがずっと気に掛かっている。今日のココアもそうだが、飲み物を用意してくれるなつきは照れくさそうな素振りを見せない。その代わり、あまり目を合わせずに、どこか静かだ。
なつきの態度に過敏なのは解っている。けれど何となく好意以外のものを感じるのは考え過ぎなのだろうか。

「なつきの淹れてくれはるコーヒーも美味しおすけど、これもええね」
「そうか」

返ってくる答えは素っ気無い。思えばなつきのことは、いつも解っているようで解らない。誰よりも近くにいる、見つめていると思うけれども彼女に関してだけはいつも迷う。

なあ、何悩んではるん?

「せやけど一年て、経ってしまうと早いもんやねえ」
「ん? ああ、そうか。おまえはもう試験が終わったから大学も休みなのか」
「なつきは今年は進級できそうなん?」
「”今年は”とはなんだ”は”とは。ちゃんと進級できる」
「それやったら安心やね」
「当たり前だ」

解ってはいたが、どうやら学校のことではないらしい。
薄っぺらな会話を繋いで、沈黙を取り繕って。一体何をしているのだろう。
視線に気付いたのか、なつきは一度静留を見ると視線をカップに戻した。 気のせいだろうか。最近、こんな風に考えるように視線を外されることが増えた気がする。

「そう言えば、おまえは試験はどうだったんだ?」
「どやろね。ノートと教科書持ち込んでええ試験やったさかい、なんとかなっとるとは思うんやけど」
「答が見られるようなものじゃないか」
「論文形式やから、決まった答えはないんよ」

そう笑って静留は自分の鞄に視線を落とした。
中には、以前、貰い物のお裾分けをした時に、なつきが美味しいと言ったメーカーのチョコレートが入っている。なつきが出してくれるのはいつもコーヒーだったので、お茶請けにでもしてしまおうと思っていた。けれどココアのお茶請けには些か甘過ぎる。

さらりと渡してしまおうと考えていたのに、一度渡しそびれてしまうと何となく渡し辛い。元々なつきはこういうイベントを素直に楽しむ質ではない。それに、そこに自分の気持ちがあり過ぎる気がして何か気まずかった。何かそういうことができる雰囲気ではない。ただでさえ塞ぎ込んでいるなつきを追い詰めるような気もする。

‥‥余裕がないんはうちのほうやね‥‥

追い詰めるような気がするのなら今日逢いたいなどと言うべきではなかった。
自嘲気味に静留はそう思うと、何気なくなつきの方を見た。なつきは横顔を向けて静かな視線で前を見つめ、黙ってココアを飲んでいる。考え込んで無口な様は、なんだか、ひとりで走っていた昔のなつきを思い出させる。
距離を置いているのは自分の方で。逢うのを避けられている訳でもない。
けれどなんだか、なつきが見えない。最近ずっと。

「せや。今日はハンバーグ作ろ思うんやけど。なつき好きやろ?」
「え? ああ。けど日本酒に合うのか?」
「あらなつき飲みたいん? 赤ワインでも買うてきます?」
「私はいい」
「そう? 残念やわ。赤うなって可愛らしんやけど」
「うるさい。おまえが強すぎるんだ」

言っている側からなつきは少し赤くなって顔を背けている。初めは笑ってからかっていたのだが、なつきの横顔に、何か翳りを感じて静留は思わず声を掛けた。

「なつき?」
「え?」

なつきは少し気まずそうな顔をして、静留の方を真直ぐに見ると、なんでもないように問い返した。

「なんだ?」
「ふふ。ココアでヒゲ、生えてはるえ?」

あからさまに隠す様子に、言いたくないのだろう、と静留は話を流した。いつの間にか、こんな風に距離が出来ている。なつきは恥ずかしそうに口許を慌てて拭った。それから気を取り直したように前を向くとソファーの上で、背中だけで伸びをした。

「はあ。そうだな、雨も降っているし、私は酒はいらない」

一瞬静留は言葉に詰まった。
すべて見透かされているような気がした。
無理に晩酌に付き合わせる訳も。バイクで出掛けるのをやんわり断る理由も。
触れたくて触れたくて仕方がないのに。
触れてしまえば満ち足りながら、それ以上にどうしようもなく淋しくて、もう二度と触れたくない。

「せやなあ。なつきがいらんのやったら必要あらへんね」
「あ、いや静留が飲みたいなら飲んでくれて構わないんだぞ?」

ひとりは嫌やわ、と笑った静留に、そうか、となつきは振り返って微かに優しいような顔をした。



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