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4

「うわ、まだ酒臭いぞ碧」
「ごめーん。ちょっと飲み過ぎちゃったかなー」
「喋るな、増々臭う」

旅館の定番のような朝食を終え、寛いでいる面々の中、異臭を放つ者が二人。二日酔いでないのが不思議なくらい酒臭い。まだ酔いが抜けてないのかも知れない。

「‥‥先生も‥‥あの、少し‥その‥」

隣で食事を取っていた間、ずっと我慢していたのか、雪之の言葉に陽子が苦笑いをしながら隣の碧に声を掛けた。

「碧、温泉入ってこない?」
「朝風呂かー。お酒も抜けるし、行くか!」
「本当は食後すぐは良く無いんだけど」

自嘲気味に言う陽子とは裏腹に、朝風呂と聞いて折角の温泉だしと周りが便乗し出した。善は急げとばかりに道具を纏めて部屋を出てゆく。
移動の騒ぎも収まりかけた頃、障子に仕切られた、窓際のひとり掛けの椅子に腰掛けて外を眺めていた静留に、なつきは声を掛けた。

「行かないのか?」
「せやなぁ、上がって直ぐにチェックアウトするんも、なんや落ち着かんし」

そうか、と、なつきは小さなテーブルを挟んだ静留の向かいの椅子に腰掛けた。

「なつきは行かんの?」
「私もいい。髪を乾かすのが面倒だ」
「そう」

何の気無しになつきが振り向くと、部屋にはもう誰も残っていない。

「しかし碧、酷い臭いだったな。あれじゃ寝るの大変だったろう?」
「確かにええ匂いはさせてはったけど」

静留の寝相が悪いというより、隣の碧の酒臭さが嫌で無意識に逃げていたのだろう。それくらい強烈に碧には酒の臭いが残っていた。

「せやけど、あないに臭い臭い言うたらあかんえ」
「碧のは自業自得だ」

会話が途切れると、また静留は横を向いて窓の外を眺める。なつきもそれに倣った。
外には松が数本。築山には低木が植え込まれている。なんの木だろうか、この季節なのに艶やかな葉。点々と赤く見えるのは実のようだ。深緑の低木の中、花でも咲いたように一際目立つ。
暫く見つめて、なつきは静留に視線を戻した。もともと風流事には門外漢のなつきには、そんなにまで見蕩れるものには思えない。それでも静留はずっと外を眺めている。何か考えているのか静かな横顔には笑みはない。

あんなに幸せそうに眠っていたのに。
たかが寝ぼけただけだろうに、目覚めた静留の、赦しでも請うような泣きそうな顔。
その表情の落差を思い出して、なつきは胸苦しくなった。
背けられた静留の背中を見つめて、ずっと考えていた。言った方がいいのか、傷つけるだけなのか。
痛むような苦しさに堪え切れず、ひとつ息を吸って吐くとなつきは口を切った。

「なあ、静留」
「うん?」

静留はなつきを見ない。なつきの口調が改まった所為か、どこか硬い表情でなつきに横顔を向けている。

「もういいと言ったはずだ」

ぴくりと静留の肩が跳ねた。それでなつきは確信した。
なつき自身は殆ど記憶がない、耳に聞かされた事実。それでも酷くショックを受けたが、静留を止めると誓った時に気持ちの整理は付いている。今思い返しても、経験として残っていない出来事に、過去の事だとそう感情は動かない。

けれど静留は違う。いまだに今の事として背負っている。

「‥‥堪忍」

なつきを見ないまま視線を落とした静留の言葉が、冷えた窓ガラスに消えてゆく。



静留は俯いたままで、見てもいない風景に視線を巡らす。
多分駄目だと思っていたが、やっぱりなつきに思い出させてしまっていた。
自分の狼狽え振りと情況から、思い出すなと言う方が無理だ。
けれど直接この話を切り出されて一体どんな顔をすればいいのか。

「謝るな。もういいと言ったろう?」
「せやったね」

なつきが知らんだけや‥

いい筈がない。歪な想いと欲望でなつきを汚したのは事実だ。そしてそんな想いでも自分にとっては真実だ。自分の中にはあの時の感情が今もきっと全てある。眠るなつきにキスをしかけた。自分は何一つ変わっていない。拒絶された辛さと許された痛みを覚えているから思い止まれただけだ。

「堪忍な」
「だから謝るな‥ってああもう! おまえ人の言う事聞かなさ過ぎだぞ」

なつきはがたりと椅子から立ち上がった。

「なつきは‥どうか忘れとくれやす。虫のいい話やいうんは解っとるけど」

言いながら気持ちが軋む。静留の視界に、側に来たなつきのスレート色のプルオーバーとジーンズが映った。

「静留」
「でもうちは‥」

なつきが欲しい。自分が怖い。だからこそ。

「うちは忘れたらあかん」
「誰が忘れろと言った」

え?と思わず静留は顔を上げた。なつきは率直な視線を静留に向けている。強い光を湛えた瞳に、静留の心が曝される。

「私は雪之の言った事も、おまえの言った事も覚えている。おまえがした事を誤魔化す気も無理に忘れるつもりもない。それと、おまえが忘れるのも覚えているのもおまえの勝手だ」

突き放すような言葉で自分の過ちを口にされ、堪え切れずになつきから目を逸らした静留の口許が歪む。唐突にぽふ、と俯いた頭に静留が重みを感じると、なつきに髪をくしゃりと撫でられた。ほんの僅か潤みかけた赤み掛かった瞳で、静留は不思議そうになつきを見上げた。

「‥‥?」
「でも静留。頼むから、これだけは覚えておいてくれないか」

ゆっくりと髪を梳きながら紡がれる真直ぐな言葉。優しい声。吸い込まれそうな強い瞳。

「私はおまえのした事を、全部、赦しているから」

過ちも、そこにあった想いも全て忘れないでありのまま受け入れる。そう言われた気がした。思い出して欲しくは無かった。でもどこかで忘れて欲しくも無かった。どんなに歪んでいても醜くても、あれも確かに自分の想いの欠片。

どうしてこんなになつきの言葉は無垢で綺麗なのか。
どうして自分の心はこんなに我が侭で勝手なのか。

「気にするなとか言ったって、おまえの事だから無理なんだろう? だからその時は思い出してくれ」

少し困ったように笑って、なつきはそんな事を言う。

「なあ、なつき。なんでそないな事言えるん? うちがあんたに‥」
「赦していると言ったはずだ。おまえこそ今更何だ。じゃなきゃこうして一緒にいないだろ。嫌だったら顔も合わせないぞ私は」
「せやけど、うちは‥」

また眠っているなつきに手を掛けかけた。唇を奪おうとした。

髪を梳かれる感触が信じられないほど心地よい。でもそれを受ける資格が自分にあるのか。静留は依畳まれなくなって、なつきの視線を避けて顔を伏せた。

「ほらやっぱりすぐそれだ」

苦笑するようになつきはまた髪をくしゃりと撫で上げてくれる。
眠るなつきにキスしようとしたのだと話したら、なつきは赦してくれるだろうか。今度こそ怒るだろうか。

「じゃあそうだな。今日までの事は全部赦すから」
「今日まで‥て、うちなんかしたやろか」

気付いていたのかと内心動揺し、顔を上げて静留は言った。静留の髪を梳いていた手を離し、なつきは不機嫌な表情を浮かべる。

「おまえな、誰の所為で全教科補習になったと思ってるんだ」
「え、ああ。ごめんなぁ」

どうやら違ったようだと安堵して、静留は飛んだ話題に取り合えず謝った。テストが出来ずになつきが補習を受けたのは知っている。

「‥‥て、全教科? 3教科だけやてなつき言わんかった?」
「あ‥‥」

なつきは途端に慌てた顔をして、サイドの髪を両手で掴みしどろもどろになりながら話し出した。

「いやあの、全部駄目だったとか言うと静留が気にするかと思って、それでまあ、おまえが来るって言って予定が被った日の補習だけ正直に話したっていうか自分が悪いっていうか格好悪いっていうか‥」

ふっ、と静留は笑ってしまい、わらうな!となつきに怒鳴られた。

さっきまであんなに大人びて見えたのに、なつきは今は子供のようだ。
自分の犯した過ちを全部真直ぐに受け止めて、赦してくれるとなつきは言った。 だからせめて、なつきの前では二度と態度には出すまい。なつきがくれた、掛け替えのない言葉を思い出して。そうしろ、となつきが言ってくれたように。

ほんま敵んなぁ。うちよりうちのこと、よう解ったはるわ。
なつき、未遂やから、もうせえへんから。‥堪忍な。

「いつもは家庭科くらいだ。補習なんて」

なつきは少し不貞腐れて静留の向かいの椅子に腰を降ろした。
客室の廊下の方から、舞衣ーと命の声が遠くに聞こえる。そろそろ上がって来るのかも知れない。
命の声に釣られたのか、何かを思い出したように、なつきは笑った。

「なんやの急に?」
「いや、おまえ凄く幸せそうな顔して寝てたなと思って」
「いややわ、なつき、うちの寝顔見てはったん?」

少し恥ずかしくなって静留が言うと、なつきは慌てたように返事をする。

「だっ、だって横向いたらおまえの顔があったんだっ」
「それだけどすか?」
「あ、あたりまえだ!」
「ふふ、残念」

笑みを含んだ静留の言葉を、まったく、と切り捨てて、少し赤くなったなつきは気を取り直したように静留に尋ねた。

「なんか夢でも見てたのか?」
「なんやろ‥‥ああ、匂いの夢やったかも‥」
「臭い? あんな幸せそうな顔して?」

なつきは怪訝な顔をした。

「静留、おまえ酒の臭い好きなのか?」

人間、自分の匂いには疎いものだと言うけれど。
なつきが疎いのは自分の匂いだけではやっぱりないようで。

「せやなあ。そうかも知れんね」

わからん、と首を傾げているなつきに向かって、静留は少々呆れた顔で、それでも楽しそうに綺麗に笑った。

うちが一番好きな匂いは‥‥



(了)


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