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part.5

結局、バイクを停めたのは陽も大分傾いた湾岸道路沿いだった。
道路脇に少し開けたスペースが有り、自動販売機が2台並んでいる。
なつきはエンジンを止め、静留に降りるように促す。グラブを外して脱いだヘルメットに突っ込み、ミラーに掛ける。
視界一杯の海は、そろそろ色を変え始めていた。ぐるりと海を囲んだ防波堤と国道が、右手に遠くまで見渡せる。薄く霞んで見えるのは港だろうか。左手には岬が道路を飲み込んで広がっている。
暑さも盛りを過ぎ、もう走っていなくても潮風が少し涼しく感じられる。

静留はヘルメットを脱ぎ、右手で柔らかそうな薄茶の髪を軽く踊らせる。
それからなつきを見て、にっこり笑った。

「おおきにはばかりさんどした」
「静留こそ大丈夫か? まだ帰りもあるんだぞ」
「せやね」

そういって静留は海の方を見遣る。慣れないバイクに数時間も座っていたのだ。疲れない方がおかしい。
なつきがそう思っていると、くるりと静留は振り返り、遠くの建物に視線を送る。

「疲れたはるなら泊まってきます?」
「ん?」

静留の視線の先にあるのはホテルだ。ただし、前に二文字付く。

「‥‥え?」
「冗談どす」

そう言って、動揺してしまったなつきの表情を見て心底楽しそうに笑っている。

「‥‥置いて帰るぞ、まったく‥‥」

なつきは脱力した体で、ぽつんと2つ並んだ自動販売機に向かう。
今日初めて聞いた静留の冗談に、内心少しほっとしていた。
しばらくしてぱたぱたと戻ってくると、お茶を静留に差し出す。

「おおきに」

静留が本当に嬉しそうに缶入りのお茶を受け取るので、なつきはなんだか無性に照れ臭かった。
静留は防波堤に寄り掛かりながら、海を眺めてお茶を飲んでいる。
なつきは少し離れたバイクに戻り、シートに凭れて缶コーヒーのプルトップを引いた。
一口飲み干して、空を見上げて背筋を伸ばす。雲の縁が薄い茜色に変わりかけていた。
そのままタンデムシートに左手を付く。
そこには以前のシートカウルとは異質の、呆気無い程の空間。

──うちのためどすか?  そうだ。

──乗せてくれはる?   ああ。本当に乗りたくなったらな。

じゃあどうして私は静留に最初にそう言わなかった?
聞かれるのを待ったりせずに、静留を乗せる席だと言えばよかったはずだ。
静留にバイクを見せたくなかったのは何故だ?
言い訳が欲しい。そう思った。自分が納得できる理由が。
だが‥‥。私は何に対して言い訳をしている?

左手の空白が寂しい。
この、お世辞にも座り心地はよくないシートは、誰かが座るためのものだから。

「静留」

思わず、そう呼び掛けていた。




呼び掛けに振り向いた静留は、ゆっくりとなつきの元へ歩いてきた。
なつきはバイクに跨がっていた。

「なつき、缶、捨てていかんと」
「いや、ちょっと座ってくれ」
「座るて‥‥ここにどすか?」

静留は視線でバイクのシートを指す。こくりとなつきは頷く。
ちょっと思案顔だった静留は、間を置いてから片手にお茶の缶を持ったままタンデムシートに横座りになった。やはりこういう座り方の方が落ち着くらしかった。

「これでええん?」

静留は背中越しになつきに声を掛ける。なつきは答えずに空を見上げ、大きく一つ深呼吸をした。

「なつき?」
「‥‥アイスも、言い訳だったんだ。走ってゆけるだろう?」

なつきの口調は穏やかで。暮れ始めた夕日に素直な黒髪が映える。
潮風が二人の髪を流してゆく。静留からはなつきの表情は見えない。

「その席は、静留のための席じゃない」

静留は少し瞳を伏せ、きゅ、と両手で缶を包む。
ふ、となつきが笑う気配がした。

「私のための席だったんだ。自分でも気づかなかった」
「なつき?」
「私が、静留に座ってもらいたかったんだ。やっと分かった」

静留は困惑した表情でなつきの後ろ姿を見る。さぁ、とまた海風が過る。
なつきの素直な髪が流れて光る。

「こんな風に近くにいるために、理由が欲しかったんだ、私は」
「あ‥‥」

──言い訳が欲しい
静留がなつきに触れるための理由。静留はそう思っていた。
なつきが静留の近くにいるための理由。なつきはそう言った。

「この気持ちがなんなのか、私には解らない。静留と同じではないかもしれない。少し違うような気もする」
「なつき」
「認めるのが恐かった。静留のことは大事だったけど、こんな風に自分以外の人間がどうしようもなく必要だってこと、考えなかった」
「なつき。こっち向いとくれやす」
「いーやーだ」

なつきはくすくす笑っている。耳が真っ赤だ。
静留は必死になってなつきを振り向かせようとしたが、なつきは笑い続けている。
やがて笑ったままゆっくりと静留に少しだけ背中を預けた。
静留は上半身を右に少し捻り、なつきの背中を右肩で受け止めた。
そのまま静留はちょっと顔を傾けて、なつきの左肩越しに前を見る。風に煽られたなつきの髪が頬に触れて落ちる。
胸が詰まる。それなのに、まあるい、やわらかな感情がどんどん広がってゆく。それはどちらの気持ちだったのか。

「すまない。やっぱりこうしたいだけだったんだ」

なつきは静留に身体を預けて空を見上げている。
空と海が夕日で真っ赤に焼けている。なつきは星を見ているようだった。

「なんや‥‥なつき、ほんま可愛らしなぁ」

なつきは無言だ。

「‥‥怒らへんの?」
「ここまで甘えていたら、怒るだけ無駄だろう?」

ぷ、と静留は吹き出す。

「‥‥なぁ、なつき」
「うん?」
「キスしてええ?」
「いーやーだっ」

それでも二人とも笑っている。なんだか暖かくて仕方がない。
そうやってじゃれあいながら、二人は陽が沈むまで笑っていた。



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