blank_logo  <舞-HiME SS>
wander
 

「だったら泊まれ。その方が私も気が楽だ」

不文律。
あの祭の後、静留がなつきの部屋に泊まることはなく。
なつきも静留の部屋に泊まったことはなかった。
静留はそれを、何となく暗黙の了解だと思っていた。それが自分達の距離だと。そう受け入れていた。
だからなつきの言葉に驚いた。
なにも気にしていないかのような、その言葉に。




ゴールデンウィークを利用して、静留がなつきの部屋に遊びに来て一晩が過ぎた。
朝食の支度を終えた静留は時計に目をやった。そろそろなつきを起こそうかと静留は寝室へ向かう。寝たいだけ寝ていてもらって構わないのだが、静留が起きたら起こしてくれ、と言われていたので約束はかなり破っていた。
声を掛けても返事がないので寝室に入ると、生成りのカーテン越しの柔らかい陽射しの中、ベッドでなつきは幼けなく眠っている。
なつきは普段いつもどこか気を張っているように見える。
そんななつきのあまりにあどけない表情に、思わず静留は立ち止まった。
なつきはまるで遥か遠くに咲く綺麗な花のようだった。
ベッドまで数歩の距離。それがなぜか酷く遠く感じられる。

暫く立ち尽くしてしまってから、何を考えているのかと静留は失笑して自分の物思いを打ち切った。ベッドの側まで近付く。やっぱり数歩の距離しかない。 見つめたなつきの寝顔の、頬に掛かった髪が何だか邪魔そうに思えて、静留は左手をなつきの頬にかかった髪に差し伸べかけた。ふとその光景に重なった記憶に手を止める。

(‥‥せやね‥‥)

静留は目を伏せて、左手を降ろす。
何かが胸の内側を掠めてゆく。
思えばそれは幸せな思いと隣り合わせにいつも降り積もっていた。

「──なつき」

眠っているなつきに静留は声を掛ける。なつきは起きる気配がない。
静留はなつきの肩を揺すろうとして、思い直してベッドの端に手をついた。
何かがまた胸を掠めてゆく。
静留は少しベッドを押して揺らす。

「なつき」
「──え?」

なつきの様子にふと笑って、それから静留は綺麗な笑顔になった。

「あ‥‥しず‥る?」

目覚めたなつきの安心し切ったような様子に、静留は思わず微笑んでしまう。何かが胸を掠めてゆく。さくさくと刻んでゆくように降り積もってゆく。

「静留」

呼び止められて振り向くと、カーテン越しの淡い光の中で、ベッドの上に座ったなつきは静留を見ていた。

「おはよう」

恐らくは静留にしか見せないだろう真直ぐな笑顔で、少し照れくさそうに静留に向けられた言葉は、まるでなつきがくれた心そのもののようで。
静留はなつきがくれたものが眩しくて微笑む。胸を掠める何かはもう静留の中に一杯に溢れていた。認めろ、と。

せやね‥なんでこない悲しいんやろね‥‥




夜も深け、そろそろ眠った方がよい時間になっている。昨日と同じように、静留は空になった2つの湯飲みと急須を台所へと運んでゆく。
洗い物を済ませて戻ってくると、これもまた昨日と同じように、なつきが深い群青色をしたソファーで頑張っている。

「なつき、そろそろ寝た方がええんちゃいます?」

言外に”退いて欲しい”と、静留は笑う。
三人掛けのソファーの真ん中に陣取り、なんとなく構えた様子でなつきは静留を見た。今日こそは譲らないつもりらしい。

「何から何までしてもらってるんだから、ベッドぐらい使ってくれ」

そんな大層な話でもないだろうに、またはぐらかされるのを警戒しているのか、なつきは妙に真面目な顔をしている。小さな溜め息をつきながら、静留は少し寂しそうな笑顔で言った。

「ほな、そうさせてもらいます。おおきにな」
「え?」

余程意外だったのか、なつきは声を出してしまって慌てて自分の口を押さえた。その仕草が子供の様で、静留は思わず、ふ、と笑んでしまう。視線を落とし、静留は言葉を繋げる。

「せやけど、ほんまにうちに気ぃまわさんでええんよ?」

ほな、毛布持って来ます、と静留はなつきに背を向け、寝室へと向かってゆく。なつきは少し眉根をよせて、不可解そうに静留の後ろ姿を見つめていた。




シーツも枕カバーも替えたのに、ベッドはなつきの香りがした。
替えの寝具まで意地っ張りのなつきらしい薄い青。

可愛らし色、使わはったらええのに‥‥

仰向けに横たわった静留はひどく寂しくそう思う。
薄紫の寝巻きをまとった自分の右腕を瞼にあてる。閉じた瞳の中の闇。
ソファーに座っていた少し構えた様子のなつきを思い出す。
昨日のあれは悪戯のつもりだった。なつきがあんまり意地を張るから。
だが、違っていた。冗談にしては行き過ぎていた。
自分の罪が苦しくて居場所を求めたあの頃とは違う。
構えた様子のなつきが遠くて、解ってしまった。
顔を被った腕の間から覗く静留の口元に、乾いた笑みが浮かぶ。

‥‥うちはただ、なつきに‥触れたかったんやね‥‥

その笑みすら上手く浮かべ続けることができなくて、打ち消すように寝返りをうって静留は横を向いた。ベッドのスプリングが軋む。
抱え込んだ腕と胸が痺れるように虚しい。

おはよう、となつきは笑ってくれた。
それはとても真直ぐな笑顔で。
なつきの側にいられることが幸せで。嬉しくて。
──悲しい

自分にもなつきの香りにも堪え切れず、静留は右手でシーツを擦るようにして身を起こした。そして両手をベッドについたまま俯いた。項垂れた首筋から薄茶の髪がぱさりと落ちる。
やがて聞こえてきたのは、ふ、と静留の嗤う声。

うち、なあんも、納得してへんやない‥‥

微かな嗤いは続いている。
ぎゅう、と握りしめた両手が震えていた。

‥愛しいんと‥違うやない‥‥

私は静留が好きだ、となつきは言った。でも、やっぱり私は、お前の望むような気持ちはもてない、と。
それでいいと思った。なつきの気持ちが嬉しくて。
ただなつきが愛おしくて。
このままでいいと。
思っていた。

ぱたり、と俯いた静留の頬を伝って雫がひとつシーツに落ちる。噛んだ唇からわずかに嗚咽が漏れた。

‥愛しいんやない‥
‥‥うちは‥なつきが‥‥恋しいんやないの‥‥

長い夜になりそうだった。
眠ってもいないのに、なつきが自分より早く目覚めていてくれないものかと静留はどこかで思った。


(了)



<top> <1>

Copy right(C)2005 touno All Rights Reserved
SEO [PR] 爆速!無料ブログ 無料ホームページ開設 無料ライブ放送