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あれほどギリギリで進級したのに、なつきの自主休講の癖は治らなかった。
以前のように何も考えずにサボるのではなく、一応バランスを取って満遍なく抜け出しているのだが、それも自慢できるような話ではない。
舞衣や命と昼食を取ったり、誘われて放課後遊びに行くのは確かに結構楽しい。
だが、ゴールデンウィークを過ぎた辺りから、すっかり以前のように学校をサボるようになってしまった。中間テストもすぐだというのに、今日もまたこんな風に街を走っている。

(何をしているんだろうな、私は)

小さな公園が見える道路脇に停車し、ドゥカティを降りて、昼下がりの街を眺めてなつきは思った。
もう5月も終わろうとしていた。




「なつきー、ゴールデン・ウィーク予定ある?」
「‥‥なんだ?」

バイクを停めている林の近く。
帰り支度のなつきに駆け寄りながら舞衣は声を掛けた。緑が濃くなり始めた若葉が、風に吹かれてさざめいている。

「5日、カラオケ行かない? いつものメンバーで」
「またか」

辟易した様子でなつきは話を打ち切ろうとする。カラオケ好きの舞衣のことだ。言い出したのはこいつだろうな、となつきは内心思った。

「あ、もしかして藤乃先輩?」
「なんでそうなる」

ヘルメットを被ろうとするなつきに、残念そうに舞衣は呟く。

「それじゃ無理には誘えないか‥‥あ、良ければ一緒に連れてくれば?」
「だから、どうしてそういう話になるんだ!」

なつきの予定はイコール静留、と言わんばかりの舞衣に、なつきは声を荒げる。舞衣はさして気にもしていない体で、ちょっと優しく笑んで続けた。

「いいじゃない。じゃ、声かけておいてね! 時間も場所もいつも通りだから」
「おいっ! 私はまだ何も‥」
「舞衣ー! 奈緒に言ってきたぞ!」

道の向こうから、駈けてきた命の声がした。予定を聞いた割には全くなつきの言葉を聞かず、じゃあね、と舞衣は命の方へ走り出して行く。やはり首謀者は舞衣のようだ。
静留に言えば「ええどすなぁ」と参加することになるのは目に見えている。
残されたなつきは、舞衣と命の方を見遣ってひとりごちた。

「まったく‥‥」

ちょっと笑んでしまっている口元を隠すように、なつきはヘルメットを被った。




「ええどすなぁ」

ほっこりした笑顔で静留はお茶を呑む。
やっぱりな、と内心思いながら、なつきも静留が煎れたお茶を口にする。
静留は風華の大学に進学してからも、週末には大抵なつきの部屋を訪れる。
なつきの部屋が週に一度綺麗になる日でもある。
ついでに食事も豪華になる日だ。
もっとも静留に言わせればこれが普通の食事ということだが、今はその食事の後だった。

「なつきは行きたないん?」

そう問われて、なつきは静留の方に視線をやる。淡いクリーム色のブラウスに、静留の薄茶の髪が良く映えていた。ふわりと笑みを浮かべたままで、静留はなつきを見つめている。

「‥‥別に」
「せやったら、ええやんか。なつきの歌聞けるんやったら、うちも行きたいしなあ」

歌はお前の方が上手いだろうが、とぶつぶつ呟きながら、なつきはぷいと顔を逸らす。少し頬が赤い。
長い間、静留以外の人間に遊びに誘われることなど、殆どなかった生活だった。それはなつきがそうしていたのだが、こうやって誘われると何となく照れくさいのが今も抜けない。
静留にやんわり後押しされて、なつきは返事をする。

「‥‥分かった。舞衣には参加すると伝えておく」
「おおきに」

(子供か、私は)

静留が掃除したお陰でこざっぱりした部屋に、なつきは視線を投げる。
掃除も。食事も。
確かに子供かも知れないと、なつきは少し頭を抱えたくなった。

「ええやんか、したいようにしはったら」

やわらかい声になつきが振り返ると、何も言っていないのにお見通しだった様子の静留が、両手で湯飲みを包んで微笑んでいた。

「うちもしたいようにするさかいに。お休みの間、ずぅっと来てええ?」
「毎日?」
「なつきにちゃあんとご飯食べてもらいたいさかいね」

静留は思案するように人さし指を顎にあてて視線を上げ、ちょっとおどけた口調で呟く。

「うちが来やへんかったら、何食べてはるかわからんしなぁ」

なつきの気分を上げたいのだか下げたいのだか分らない静留の言葉に、なつきはむぅ、と口をつぐむ。少しむくれたなつきの様子に満足したのか、静留は手を湯飲みに戻し、目許を綻ばせながら優しい声で続ける。

「うちがそうしたいだけやさかい。なつきはなあんも無理することあらへんよ」

なつきが静留に口で勝てるはずもなく。なつきのゴールデン・ウィークの予定は埋まったも同然だった。元より予定など何もない。なつきは顔をぷいと背けた。

「毎日通うのは面倒だろう」
「面倒なことなんてなあんもあらへんよ? 遠いとこやないし、毎日なつきの顔見られますしなぁ」

なつきの困ったような横顔が僅かに赤くなる。

「だったら泊まれ。その方が私も気が楽だ」
「‥‥せやね」

ことり、と静留が湯飲みを置く音がした。




結局、三日間、静留はなつきの部屋に遊びに来ることになった。
遊びと言っても特にどこかへ出かける、という訳でもなかったので、静留がなつきの面倒をみに来る、と言った方が正しいかも知れない。
部屋を訪れるなり、座りもしないで静留は髪をまとめると掃除を始める。手伝っても足手纏いなのが分かっているので、なつきは深いダークブルーの布張りのソファーの上でバイク雑誌を広げてごろごろしている。
静留が作った昼食を食べて、マヨさん掛け過ぎ違いますん?と言われるのも、毎度、量を減らすように言い包められるのに、その約束がつい守れないのもいつもの話。
お茶を飲みながら、なにをするでもなく黙っていても気にならないのも。
ひとりでいる時とは少し違う、穏やかな時間。

「買い物にでも行くか」
「せやなあ。お夕飯の支度もせなあかんし。なつき、何か食べはりたいもんあります?」

突然の言葉にも、何の違和感もなく返ってくる返事。
そんな些細なことが暖かい。なつきは少し瞳を伏せた。




そろそろ夜も深けた頃になって、初めてなつきは気がついた。
客用の布団など用意がない。あるのはなつきのベッドと、深いダークブルーが好みでデザインも触った感じも寝転がってゲームをするのに良さそうだったから買ったソファーだ。
以前にも、なつきの部屋に静留は何度か泊まったことがあるが、それはなつきが風邪で寝込んだりした時。
つまりなつきは、静留がどこでどうやって眠っていたのか知らなかった。
二人で飲んでいたお茶を下げていた静留が、洗い物を終えてリビングに引き返して来る。

「そろそろ寝るか。静留は私のベッドを使え。私はソファーで寝るから」
「なに言うてはるん? なつきの部屋やないの」
「泊まれと言ったのは私だ」

そう言ってなつきは座っていたソファーに仰向けに寝転がった。
両腕を組んで頭を載せ、足を組んでくつろいだ姿勢を取る。

「ここは私の部屋なんだから、好きに使う」
「寝づらいんと違います?」
「それは静留だって同じだろう?」
「ええから。なつき、ベッド使い」

なつきはソファーの上から動かない。なつきにしてみれば、掃除や食事の支度を全部任せているのだから、寝場所くらいはまともな方を使ってもらおうと思っただけなのだが静留は譲らない。なつきはちょっと意地になった。

「私がソファーで寝たいんだ。静留こそ素直にベッドを使えばいいだろう」

なつきは目を瞑って相手にしない意志を伝える。閉ざされた闇の中、聞こえてきたのは、ふぅ、と溜め息。そして独り言のように呟いた静留の言葉。

「ほな、うちもソファーで寝よ」

なに?と、なつきが慌てて頭の下に組んだ手を解いているうちに、静留までソファーに乗ってきた。3人掛けのソファーに二人の人間が横になるスペースなどない。
静留はソファーの背もたれ側に無理矢理身体を割り込ませようとする。なつきは思わず静留に背を向ける。それがまた静留が割り込むスペースを作ることになってしまう。
静留はあからさまにふざけて軽口を叩く。

「なつき、えらいあったかいなあ。お布団いらへんわ」
「おいっ! って、どこを触っている!」
「ええやんか。ちょう狭いさかい」

なつきは慌ててソファーから身を起こす。軽く抱かれていたなつきの身体は、静留の腕からあっさり解放されていた。
なつきが顔を真っ赤にして振り向くと、うつ伏せに寝そべった静留が、肘をついて重ねた両手に右頬を預け、上目遣いになつきを見ていた。ゆったりと満足そうに笑っている。その笑顔になつきは計られたことに気づいたが、もう遅かった。ソファーは静留に占領されていた。
静留が高校を卒業する頃までは、こんな風に静留がふざけて抱きついてくることはよくあった。が、久し振りだったせいか、なつきは何だか落ち着かない。それに何より、まんまとやられて頭に来る。

「ああもう分かった! 好きにしろ!」
「おおきに」

そう言って、静留はくすりと微笑んだ。




(‥‥ん‥‥?)

とろとろとした温もりが心地よい。
なのに左の方に時々沈むようで‥‥

「なつき」
「──え?」

突然名前を呼ばれて、なつきは驚いて目を開けた。目の前にはベッドに手をついた静留の笑顔。

「あ‥‥しず‥る?」

窓から日の光が生成りのカーテンを透過して柔らかくベッドを照らしている。淡いブルーの見慣れた色彩。ここは自分の部屋だ。なつきはようやく事態が飲み込めた。誰かに起こされることなどなかった部屋に、起こしてくれる人がいる。その違和感。

「──おはようさん。そろそろ起きひん? 朝ご飯冷めますえ?」
「ん‥‥」

少しぼんやりした頭でなつきは枕元の時計を見る。9時をかなり回っている。

「‥‥起きる」

ふわふわした様子のなつきを見てか、軽く目を伏せて静留は微笑む。そのまま寝室を後にしようとする。くすぐったいような気分で、静留、となつきはその背中に寝ぼけた声で呼び掛けた。誰かにこんな挨拶をするのはいつ以来だろう。

「おはよう」

静留は、どこか儚いくらい綺麗な笑みを浮かべた。




「さあ歌うわよ、雪之!」
「え、でも遥ちゃん」
「ちょっと、なんであんたが歌う訳? さっき歌ったばっかじゃない」
「雪之は1曲も歌っていないんだから、わたしと一緒に歌うのよ! そういうあなたこそ自分の曲ばっかり携帯並みにばしゃばしゃばしゃばしゃ」
「舞衣ー! これは何だ? 食べていいのか?」
「って命! お皿抱えない!」

カラオケはメンバーがメンバーだけに相変わらず混乱を極めていた。
以前はそれでも碧が取り仕切っていたのだが、碧が不在のため、更に酷いことになっている。
歌っている時間より揉めている時間の方が長いような気がして、なつきは失笑する。

「何しに来たんだ」
「なつきは歌わへんの?」

なつきの横に座っていた静留が、なつきの呟きにおっとり尋ねた。それでもイントロが流れ出すと、遥と言い争っていた奈緒も黙って、席に座って雪之と遥の歌を聴いている。なんだか嬉しそうだった。その様子を眺めながら、暫くしてからなつきは返事をした。

「私はいい」

静かに楽しんでいるらしいなつきの表情を認めてか、静留はそれ以上言葉を続けなかった。

「ちょっと玖我。なにクールぶってんのよ!あんたも次歌うんだからね」

テーブルを挟んで斜め向いの席に座っていると言うのに、奈緒はなつきの言葉を聞いていたようだった。なつきは少し驚いて奈緒を見る。

「何を勝手に」

とは言うものの、内心奈緒の心遣いが嬉しくて、なつきはなんとなく口籠った。奈緒はそんななつきにはお構いなしに、今度は静留に向かって言葉を投げた。

「あんたもよ。玖我の次! 二人で格好つけてんじゃないわよ!」

カラオケに来て歌わないなんてばっかじゃない、と奈緒は二人から顔を背ける。 静留は静かに微笑みながら、おおきに、と礼を言った。そのまま無言で持ち込みのお茶を飲んでいる。

(静留?)

何が違うのか解らない。しかしなつきはなんとなく違和感を覚えて静留を見つめた。だが、静留の横顔からは何も読み取れなかった。




「ただいま」

口にしてからなつきは気づく。こんなことを言う必要はないのだ。
ちょっと苦笑いをして照明のスイッチを入れた。数度の明滅の後、皓々と照らされた室内には、当然のことながら誰も居ない。
出かける時も帰ってきた時も、静留がいちいち律儀に挨拶をするものだから、釣られてなつきも声を掛けた。たった3日間一緒に居ただけなのに、自然に「ただいま」と言うようになっている自分が少し可笑しかった。

(こんなに、広かったかな‥‥)

静留が片付けていってくれたせいか、部屋はなんだかがらんとしている。
無言で靴を脱ぎ、部屋に上がると上着を脱いでソファーに投げた。自分も腰掛けて背もたれに身体を預ける。
朝起こしてもらったり、食事を一緒に食べたり、買い物をしたり、お茶を飲んだり。そんな、どうということも無い取り留めのない時間。
短かったけれど、なんだか暖かだった日常を思い出してなつきは天井を見上げた。

「───」

何もする気になれなくて、なつきはじっとソファーに身を預けていた。




学校をサボったからといって、以前のように目的がある訳ではない。
こんな風に、適当にバイクで走るだけだ。
近くのコンビニで買ったサンドウィッチと冷たい缶コーヒーが入った袋を片手に、なつきは小さな公園に足を向ける。
ぽつんと忘れられたかのようなそこは寂れ切っていて、遊ぶ子供の姿ひとつない。錆の浮いた低い柵に囲まれた木々と、さして手入れもされていない植え込みが、殺風景な広場を取り囲んでいるだけだ。
塗装も禿げ落ち、少し朽ちかけている年季の入った木製のベンチを木陰に見つけると、濡れていないか確認してなつきは座り込む。
風がなつきの髪を揺らす。良い天気だった。走っていないとライディング・スーツはもうかなり暑い。
かさかさと乾いた音を立てて袋を開けると、さして食べたくもなさそうに、なつきはツナサンドを一口齧った。
マヨネーズの量が少ないな、と眉をしかめる。物足りない。

──物足りない?

妙にしっくりくる言葉だった。
なんだろう? と美味しくない食事を続けながら暫く考えて、ああそうか、となつきは気づく。
学校に居ても物足りないんだ。
なんだか気持ちががらんとして、だからこうやってサボってしまう。学校に居場所がない訳ではない。普通に話をしたり遊んだりする仲間はできた。
でも、違うのだろう。だからこんな風に彷徨っているのだ。

(本当に、何をしているんだろうな、私は)

あまりに漠然とした自分の思いに、なつきは失笑する。そんな曖昧な気分、留年の危機にまた見舞われるような理由じゃないだろうに。

立ち上がって網の錆びたゴミ箱に食べ終えた袋と缶を捨てると、なつきは公園を後にする。ゆっくりバイクに向かうと、濃紺のドゥカティのシートカウルが陽射しを反射していた。

「───」

陽射しで少し熱くなったシートカウルに右手をつくと、なつきは暫くそのまま何かを考えるようにその手を見つめていた。



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