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sincere
 

4

碧に渡された書類を畳んでポケットに突っ込み、なつきは職員室を出て、すこし暮れ始めた陽が差し込む静まった校舎内を歩く。自分の足音だけが廊下に響いていた。

‥ったく、思いきりやってくれたな‥

碧に叩かれた背中はまだ何となく痺れて引きつっている。その痛みが、しっかりしろ、と言っている気がした。なつきは背筋を少し伸ばした。

‥あいつは単純でいい。だが、そんなに簡単な話じゃ‥

苦いような思いでなつきは窓の外を見る。もういい加減、らしくもなくグダグダと悩んでいる自分が本当に嫌になっていた。

『けど自分が正しいと思ったことなら、最後まで信じて進まねば!』

自分が正しいと思うこと。

かつて自分がやろうとしたこと。止められなかったこと。静留がしたこと。
──正しくないこと。

でも現実には生きている人々。
不問に附された事実。
罪を負うのは。

校舎の外に出ると、風が冷たかった。先日の長雨が明けた辺りから気温がまた下がっていた。
横風に黒髪を逆巻かれ、思わず後ろに顔を向けると自分の影が地面に黒く落ちている。

罪を負う‥無いことになった罪を。
なつきはふとそれに引っ掛かった。どこかで静留を許せずにいる自分がいる。傷つけたく無いのに責めてしまいそうな気がして、そればかりに囚われていた。もういいと言いながら、静留が犯した罪を知っていたから、心の底では自分はそれが許せないのではないかと。

石畳の道に落ちたなつきの影はひとつだけ。それはなつきのものだ。

‥存在しないことにされた罪を問えるのは‥

ばさりと髪を払うと、なつきは暫く考え込むように立ち尽くしていたが、やがて前を向いて歩き出し、そして何かに急かされるように走り出した。



理事長室を兼ねた理事長の邸宅は瓦解している。なつきはどこで静留が理事長の仕事を手伝っているのか知らなかった。生憎、携帯電話は充電が切れている。
結局、学園内を散々走り回った。途中、再度捉まえた碧に電話を借り、静留の部屋に電話を掛けたが留守だった。中等部の会議室で静留が理事長の代行をしていたことは碧に聞いて解ったが、会議室は空だった。もう仕事は終わったらしい。まだ校内にいるかも知れない。
会議室から女子寮へ向かう道をなつきは走り出す。だが女子寮についても静留は捉まえられなかった。部屋も留守だ。なんだか向きになってなつきは学園に取って返す。
宛ても無く周りを見回しながら小走りで静留を探していると、会議室から女子寮に向かうには通らない木立の中の道に、何故かその姿を見つけた。
薄茶の長い髪。学園でただ一人着ることを許された、見慣れた白い制服。
なつきは、ふう、と安堵してそちらに足を向ける。正面にいるのに、少し俯き加減の静留は気づいていない。周りに注意を払ってはいないようだった。

「静留!」

名を呼んでから、なつきは何をこんなに慌てて静留を捜しまわっていたのかと、少し困った。なのになつきに気づいた様子の静留に、思ったことがつい口をついてしまう。

「やっと捉まえた」

静留の方へ歩み寄りながら、そうだ、と思い出したことを口にする。

「碧が言い出したんだが‥」
「なつき」

染み入るほど優しく呼び掛けられた。なつきの言葉を聞いていないような静留を怪訝に思い、近寄りながらなつきは静留の顔を凝視する。嬉しそうに柔らかく微笑んでいるが、夕陽のせいか頬が赤い。

「‥‥静留?」
「‥‥うちに、なにか用どすか?」

おかしい。会話が噛み合っていない。それに返事に間がある。正面に立ってみると、やっぱり夕陽のせいではない。なつきは静留の顔を覗き込むように首を傾げた。

「おまえ、顔が赤いぞ?」
「そうどすか? なつきに会えて嬉しいからやろか」

二週間ほども鬱々としていて、ずっと静留のことを考えていた。会いたかったのは自分の方だと気づいてなつきは静留から目を逸らした。でも今はそんなことよりも、様子のおかしい静留のことだ。

「ふざけるな。本当に赤いぞ?」

静留が少し汗ばんでいるのに気づき、熱を計ろうと思って伸ばした右手を、酷く嫌うように静留に避けられた。それに驚いて、なつきの動きが止まる。

「触らんといて」
「な‥‥」

畳み掛けられた拒絶になつきは言葉を失った。背けられた横顔。以前の静留なら、きっとこんな風には言わなかった。なのにどうして‥

「いつもならおまえの方こ‥」
「なんでもないんよ。平気やから」

にべもない言葉になつきは奥歯を噛み締めた。静留の態度に胸が痛む。背けられたままの静留の横顔に汗が流れた。立っているだけなのに。こんな時期なのに。

「なんでもないことがあるか! 汗もかいているじゃないか!」

あからさまな静留の嘘と顔を背け続ける態度に、なつきはつい声を荒げてしまった。それでも静留はなつきを見ようとはしない。ぐい、と静留の両腕を逃がさないように掴んで、なつきは顔を背ける静留の正面に回り込んで視線を捉え、真直ぐに静留を見据えた。
汗をかいて具合が悪そうなのに、困った子ぉやね、とでもいうように静留は笑っている。

「離してくれへん?」
「静留!」

静留は優しい表情を浮かべているのに、その癖その顔は、構うな、と干渉を一切認めない。

「触らんといて、言うたやないの?」

静留が少し真面目な表情になって、何かを思案するように一瞬なつきから視線を外した。それから小首を傾げて困ったようになつきを見つめた。

「なつき、お願いやから離してくれへん?」

冷や汗だろうか。具合が本当に悪そうなのに、静留は顔に出さないように我慢している。そう判断したなつきは押し問答を打ち切った。

「駄目だ。保健室に行くぞ」

動く素振りのない静留の様子を見兼ねて、なつきは強引に静留を引き摺って歩き出そうとした。がくりと右腕が抵抗にあう。

「部屋に帰って休みます。せやから離して」
「部屋まで送る」

間髪を入れず答えて、なつきは静留を引く。それでも拒む静留の腕の抗いに、なつきは悔しくて顔を歪めた。体調が悪いと認めたのに、どうして頼ってくれない。

「なつき、うち、怒りますえ?」

静留の声音が低く変わった。なつきは真直ぐに静留を見返す。悲しくて腹が立っていた。睨むように見つめた静留の顔色は、いつの間にか血の気が引き切ったような蒼白になっている。
いつもの静留なら、きっとこんな体調を押してまでは仕事はしない。

「怒ればいいだろう?」

静留はもう酷く汗をかいている。冷然とした厳しい表情で見つめ返されたが、そんなことは問題では無かった。どんなに怒らせても絶対に放って置けない。
静留の態度は、単に心配を掛けたくないというレベルではない。
静留がそうまでしてなつきを遠ざけようとする理由が、なつきにはひとつしか思い当たらない。

「心配するのは私の勝手だ。好きにさせてもらう」

殆ど拘束するように静留の腕を掴んだまま、なつきは強引に歩き出した。少しも進まない内に静留の腕に急に下へと引っ張られる。半ばその重みに引き摺られて反射的に振り返ると、目に飛び込んできた崩れ落ち掛かった静留に驚いて、なつきは咄嗟に抱きとめた。ばたりと静留の鞄が地に落ちる。

「っ! 静留?」

中腰の半端な体勢で受け止めたせいで、静留の重みに堪え切れずに、なつきは左腕で静留を抱きかかえながら地面に座り込んだ。

「静留!」

静留から返答はない。ただぐったりと弛緩した身体がなつきの腕の中にある。抱いている身体は服越しにも熱い気がした。

「静留‥」

左肩を掴んで顔を上げさせようとしたが、静留の頭は力無く傾く。弾みで僅かに頬に感じた息に、なつきはかろうじて安堵した。こうして見れば痩せてしまっている面差し。

死者が全て戻ったというのなら。
無いことにされた過ちは、ただ静留の記憶の中にある。
罪を問えるのは静留だけ。罪を背負うのも静留だけ。
たとえこんなになるまで自分で自分の罪を問い詰めても、赦しは誰からも与えられない。

無体にがくりと傾いた静留の頭が苦しそうで見ていられず、なつきは右手で項垂れた静留の頭をかき抱いて自分の左肩に寄せる。静留の身体は熱を帯びているのに、自分の右腕に掛かって頬に触れた、柔らかい薄茶の髪はとても冷たい気がした。

生き残って罪の大きさを自覚した時から、おまえの重荷を寄越せ、私の為にやったのだからと、詭弁でも何でもいいから私にも背負わせろと言いたくて仕方がなかった。所詮無理なことだとしても。静留を止められなかった自分に対する自己欺瞞だとしても。
言っても静留が聞き入れず、返って傷を抉るだけなのが解っているのに。傷つけるだけだと解っているのに。

静留はきっと、また私には何も話さない。
HiMEだったことも、私を好きだったことも、ずっと隠していたように。
そうやって全部一人で抱え込む。

「‥‥っ‥」

悔しくて悲しくて涙が零れた。冷えた頬に熱い。あれだけ陰鬱な気分でいても、荒んでいても泣くことなどなかったのに、涙は止まらなかった。

なんで、そんなに私を守ろうとする。
何も返してこなかったのに。
おまえの想いには応えられないと言ったのに。

すべて一人で抱え込んで苦しんで。
それでも、なつきの為ならそれで構わないと。
それが静留の矜持なのだと、なつきも今はよく解っている。
けれど。
無条件に護られて、一番大切な人間が一人で傷つくのを見なければならない自分はどうしたらいい。

「‥おまえは‥勝手だ‥」

なつきは静留をぎゅっと抱き締めた。
静留の記憶の中にしか存在しない過ちを本当の意味で赦し、静留を罪の意識から解放できるのは静留だけだ。それでもなつきは思わずにはいられなかった。

赦すから。
どうやっても赦されない罪でも、全部、私は赦すから。
もう、止めろ。独りで背負い続けるな。
もう、いいから。

静留を抱き締めたまま、一度きつく瞼を閉じて、なつきは強く息を吐き、ぐい、と右手で乱暴に涙を拭う。

なにも告げてくれないのならそれでも構わない。
たとえおまえが怒っても、こんな無茶をしないように側にいるだけだ。

左手で静留を抱いたまま、なつきは何とか立ち上がる。身体の向きを入れ替えて静留の腕を自分の両肩に掛けた。背中に体重を掛けさせた静留を片手で支えバランスを取りながら屈んで手を伸ばし、静留の鞄を取ると、足腰を踏ん張って静留を背負った。
そして夕暮れに長く伸びた影を背に、保健室に向かって歩き出す。

静留の身体の重みを感じながら、まだ少し濡れている意志の込もった強い瞳で前を見つめ、なつきは夕暮れの道を歩き続ける。

無理だと知っていても。それでも、なつきは思わずにはいられない。
こんな風に背負えたらいいのに、と。
罪も咎も痛みも苦しみも、すべて、一緒に。

「背負うからな」

呟かれた声は小さかったが、とても強くて優しい色を帯びていた。


(了)



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