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sincere
 

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翌日からなつきは不動産屋を巡り、引っ越し先を探しだした。
条件はそれほどない。一番優先するのはバイクが置けること。あとは最寄り駅。家賃に関してはヤマダへの情報料が必要無くなるので、そう問題はない。バイクをローンで買うにしても養育費として送られてくる金額は贅沢なものだ。
だが、この一番大事な条件がネックになった。
大型のバイクを置けるマンションが折り悪しく見つからない。しかも即入居できる物件でないと困るのだ。今月一杯であのマンションからは荷物を運び出さなければならない。
不動産屋の担当員が端末を弄っている間、することもなく、いくつか示された物件の見取り図を見ていたが条件にあっていないのでは話にならない。駐輪場を別に借りるのは不便そうなので避けたかった。

「賃貸物件の情報は、不動産屋同士でやりとりしているんです。ですから、他の不動産屋を当たっても、ご依頼の条件での物件は今日中に見つけるのは難しいかと‥。と言っても、今の時期は丁度入れ代わりも多いですから、しばらく時間を頂ければ見つかるかも知れません」

なつきは息を吐いた。そう言われては手の打ちようがない。条件に合った物件があったら連絡をくれ、となつきは仕方無しに席を立った。

かれこれ3日も経った頃、最寄り駅の条件を少し譲歩して、やっとマンションが見つかった。
部屋を見てから仮契約を済ませ、家賃と敷金、礼金を支払う。保証人の書類を提出した時点で契約は成立するのだが、管理人の好意で今月から部屋には荷物を入れていいことになった。

ボツボツと雨がブルーシートを打つ鈍い音。壊れた窓からすきま風が入るマンションは寒かった。なつきは上着を着、靴を履いたたままで部屋に上がり、ガラスの破片を片付けた。それだけで随分時間をくっている。掃除機でざっと細かい破片を吸い取り、それから荷物の整理をごそごそと始めた。引っ越し屋に届けてもらった段ボールに詰めればいいだけなのに捗らない。もともと整理するのは苦手なのだ。やる気がないのを表すようにしゃがみ込んだまま、これは捨てるか、と崩れた雑誌を手に取ろうとした。

「っ‥!」

左手の小指に鋭い熱さ。反射的に手を引き少しかじかんだ指先を見つめる。程なくジワリと浮かんだ紅い色に、指を切ったのだと気がついた。どうやらガラスの破片が残っていたらしい。小指の第一関節と第二関節の間、外側の方が、指に沿って縦にさっくり切れていた。深くはないようだが溢れる血に、なつきは自分の指を口に咥えた。凍えた指が唇に冷たい。舌に触れる僅かな金属味。目に焼き付いた紅い色。

静留‥

迫水に、死者はいないと聞いた時、一瞬だけ考えた。
それならば静留の犯した罪も──

なつきは指から唇を離した。白い指先には一見何の傷もないように見えたが、血は止まってはおらず、またジワリと紅い傷が姿を現した。

だが違う。そんな単純な話ではない。
犯した過ちは消えない。
不問に附されてしまった罪は誰が背負うものなのか。

もう一度指を咥え、なつきは雑誌の方へ視線を遣る。よく見ると床に小さなガラス片が光っていた。注意深くそれを拾い上げて立ち上がると、纏めてあったガラス屑のところへ捨て、乱雑に散らかった部屋の中、薬箱を探す。

雨足が強くなったのか、ブルーシートを叩く音が大きくなる。それが時折ひどく煽られ、風に巻かれて霧のような雨水が部屋を濡らした。吐息が所在ないように空に溶ける。
なつきは無言で遅々として進まない作業を続けた。



新しい部屋に移って、電気やガス、水道の利用手続きと使用料の引き落とし、以前のマンションのそれらの停止、役所への転居届けなど、なんとか格好がつくまで3日かかった。
指を切った経験から学んで、部屋に広げてあった布団類など、ガラス片が紛れ込みそうなものは全て捨てた。服もビニールケースに仕舞ってあったものだけ。そうなると荷物はそう多くなかったが、まだ梱包は殆どと言っていいほどそのままだった。
替えの布団など用意が無いので、ベッドのマットレスの上に直接シーツを敷き、季節外れの夏掛けやタオルケットを重ねて包まって、まるで野生の小動物のように丸まって寒さを遣り過ごし眠りにつく。買いに行かなければと思いつつ、それでも買い物をするような気分には到底なれなかった。

雑然と積まれた段ボールの横に座り込み、なつきは壁にもたれ掛かった。
窓から差し込む午後の陽射し。もう季節も季節だというのに外の気温はガラスに遮られ、太陽の光はただ暖かい。

その無条件の暖かさが何かを‥静留を思い出させて辛い。
なつきは投げ出した右手をゆっくりと、陽射しを掴むように何度か握ったり開いたりしてみた。

いい加減、鬱々している自分に嫌気がさす。今日もこんな風に無為に暮れてゆくのか。
静留に会いたい。傷つけそうで恐い。もう、訳が分からない。
誰も死んでいないという事実は確かにとても嬉しい。だが何一つ情況は変わっていない気がする。同じことをずっと考え過ぎて、もう何が赦せないのか何で静留を傷つけそうなのかすらよく分からない。一体自分は何をしているのか。デュランが証明してくれたように、静留が一番大切で、それは絶対に間違いないのに。

どうして私は動けない‥

漠然と、会えば傷つける、という気持ちが消えない。
らしくない、と自分でも思う。こんな風に迷うのは。
日常にかまけて、誤魔化して。それでも心は囚われていて身動きが取れない。

大きく溜め息を吐くと、不意に携帯がくぐもった着信音を奏でた。
のそりとなつきは立ち上がり、鞄から携帯を取り出す。ディスプレイには電話番号。蓋をスライドさせて通話ボタンを押す。

『お、今日はちゃんと出たね』
「‥またおまえか。なんの用だ」
『‥迫水先生から書類預かってるから取りに来なさい。今日は職員室にいるから』

取りに行く旨を伝えて電話を切ると、ピピッと軽い電子音がした。携帯電話の充電が切れた音だった。考えてみれば越してから電話は使わなかったし、最後に充電したのは引っ越しの前。いつだったのかは覚えていない。充電器をどの段ボールに梱包したのかもうろ覚えだった。

酷いものだな‥

ふ、と自嘲の笑みを浮かべて、他人事のようになつきは思った。



足を組んで椅子に座ったまま、碧はくるりと椅子を回転させてなつきの方を向いた。ぴらり、と紙切れを摘まみ上げ、貼り付いていた黄色い付箋を剥がすとなつきにそれを渡す。賃貸契約の保証人の書類。

「迫水先生、なーんか忙しいらしくてさぁ。机の上に置いてあったんだ。”玖我なつきさんに渡してください”って」

無言でなつきは紙を受け取った。碧は内心溜め息を吐く。焦燥したような表情は変わっていない。

「引っ越すの?」
「ああ」

なつきはそのまま踵を返そうとする。
学校など嫌々来ているのだと言わんばかりの不機嫌な表情はよく知っているが、こんな表情をするなつきは珍しい。

「待ちなさい。保健室には行ったの?」
「後で行く」

明らかに行く気がない様子で、碧に背中を向けてなつきは歩き出した。碧は立ち上がるとなつきの背中を思い切り平手でばしんと叩いた。

「‥ぃっ! 何をするっ!」

怒りに任せて振り向くなつきに、碧は腰に手を当てて、にっこり笑った。

「反省もし過ぎると意味がない。後悔なんてもってのほか。折角生きて戻ったんだから」
「‥なんの話だ」

ひとりだけ浮かない顔してるからさ、と碧は少し困って笑って言った。実際、なつきが何を悩んで煮詰まっているのかは解らなかった。碧の言葉に、そんなに顔に出ていたのかと言わんばかりに、なつきの表情が小さく曇る。どうやらなつきは自分がそうポーカーフェイスでないことに気づいていない。
なつきの微笑ましいような側面に、やっぱり16歳だなあ、と碧は思う。

「事情は知らないし聞かない。けど自分が正しいと思ったことなら、最後まで信じて進まねば!」
「‥‥‥」
「あ、そうそう。それと今度の日曜、HiME戦隊お疲れ様パーティー開くからね」
「あ?」

『碧、‥‥静留は?』

そう問いかけられた言葉を、碧は忘れてはいなかった。
名前を出す時に躊躇った様子からみて、きっと彼女に関係することなのだろう。 焦燥するほど考え込んで出ない答なら、ぶつかってみるしかないのだ。少なくとも碧はそう思っている。

「ほら、みんな頑張ったし。ご飯でも食べようかなあってね。リンデンバウムに1時に予約入れたから。舞衣ちゃん達にはもう連絡したから生徒会長サンには連絡よろしくっつーことで」
「私は」

本当は電話をすればいいだけだったが、そのことは全く顔に出さずに碧は言った。食事会にしても、生徒達の様子を見たいというのが本音ではあった。まあ、イベント好きでもあるのだが。

「理事長の仕事手伝っているらしいんだけど掴まらないんだ。あたしはあんまり彼女とは接点ないし、どこにいるのか見当つかないからさ」

なつきは何か考えているようだった。碧は歩き出す。

「あ、ついでに保健室にも行くように伝えておいてね。んじゃ」

戸惑うなつきを置いて、すちゃ、と手で挨拶をして碧は職員室を後にする。
所詮、事情を知らない自分は部外者だ。彼女達が何を抱えているのかは解らない。
けれど、きっと大丈夫。あの最低で最悪な祭を乗り越えた仲間なのだから。



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