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期末考査解説の授業が終わり、短いホームルームの後、教室から生徒が去って行く。テストが返ってくるだけの半日授業は、どこか試験休みの延長のような気分でいる所為か、生徒達の帰宅する足は早い。もう教室には数人しか残っていなかった。
舞衣は鞄を片手に、窓際の席に座っているなつきの方へ歩いていった。なつきは頬杖をついて不機嫌そうに外を眺めている。なつきが不機嫌な理由は分かっていたので、敢えて気にしない事にした。すっかり忘れていたのだが、確認を取っておかないといけない。
話し掛けてもなつきは気のないような素振りだったが、舞衣は空いていたなつきの前の席に鞄を置き、椅子を引いて横座りに腰掛けた。用件を切り出すと、なつきは舞衣の言葉を繰り返した。
「温泉?」
「そ。カラオケ同好会の忘年会。テストの最後の日、声掛けたのに、なつきさっさと帰っちゃったじゃない」
なつきは少しだけ難しい顔をする。その様子を見て、舞衣は内心、やっぱり何かあったのか、と考えた。テストの頃のなつきは、どこか取りつく島もないような感じだった。
「そうだったか?」
もう、と舞衣は旅行の詳細をなつきに話し出した。日時、場所、交通手段、費用。幹事ということもあり、何度か同じ事を人に話したので、もう慣れたものだ。
舞衣ちゃん、玖我さん、ばいばい、と教室に残っていた最後の女生徒に声を掛けられ、それに応えると舞衣は話を続けた。
「で、人数を宿に連絡しなくちゃならないの。なつきは参加でいいんだよね?」
「参加?」
不可解そうな顔をするなつきに、舞衣は不思議になって聞き返した。
「あれ? 参加するんでしょ? 藤乃先輩来るって聞いてるし」
「だ、だから何で‥‥って、あいつ行くのか?」
「そう聞いてるけど?」
ん?と互いに見つめあう。静留がカラオケに来るのは必ずなつきが参加する時だったから、舞衣は今回も一緒だと思っていたのだが、どうやら違ったようだ。なつきは頬杖を止めて、少し意外そうな顔をしている。
「なつき?」
「あ、ああ。行く」
あっさり返って来た答えに、舞衣は思わず笑ってしまった。
「なつきってさぁ、結構判り易いよね」
「何が?」
「別にぃ?」
言われた意味に気付いたのか、なつきはちょっとバツが悪そうに窓の外に目をやった。言い返して来るかと思っていたのだが黙り込んでいる。舞衣はなつきの視線を追った。透明なまでに晴れ渡った、風に冷えた景色。冬の真昼。
舞衣が視線を戻すと、外を見つめるなつきは静かな表情をしている。
「どうかした?」
「別に」
声に振り向いたなつきが、ふと優しいような困ったような表情を一瞬浮かべた気がした。干渉しない方がいいと舞衣は思ったが、生来のお節介が言葉を発してしまっていた。
「でもさ、テストの頃、なつきなんか変な感じだったし。勉強で手一杯なのかと思ってたけど、補習──」
「うるさい!」
先程とは一転して、なつきは舞衣を睨みつけた。怒っているのに、どこか情けないような顔をしている。舞衣は苦笑しながら話を続けた。
「ごめんごめん。でもなつきってテストはいつも点数いいじゃない? テストの前もなんか機嫌悪かったし。どうしたのかと思って」
「どうって‥‥」
なつきは考え倦ねたように視線を逸らして口籠る。それからふと舞衣の方を向いて口を開いた。
「おまえは楯と距離を置きたくなったりするか?」
「は、はい? な、なによいきなり」
「──いや、なんでもない」
なつきは自分の言葉を持て余したような顔をして、頬杖を突き直してまた窓の外へ視線をやった。
距離を置くってどういう意味?と問い掛けようとして、舞衣は口を噤んだ。多分なつきは自分と祐一の事を聞きたいのではない。
『雪之と奈緒のチャイルドは倒された。‥‥倒したのは、静留だ。』
なつきの横顔を見ながら、舞衣は蝕の祭の前の夜、現状を確認するために、なつきが言った簡潔な言葉を思い出した。もう随分と昔の事のような気がする。なつきは詳細を一切語らなかったが、あの祭の時、同時に立った2本の柱は、彼女達はお互いが一番大切だと雄弁に語っていた。
なつきの見ている窓の外に舞衣も視線を向ける。
冬の真昼は透けるような陽射しでとても綺麗だ。でも、一歩教室から外へ足を踏み出せば、厳しい寒さが待っている。
舞衣から見れば、なつきはもう進む道を選んでいるような気もするのだが、それは自分が傍観者だからなのだろう。本当の事は当事者にしか解らない。彼女達は自分達と少し事情が異なるから。
「でもさ、なつき」
「うん?」
「好きって、いいよね」
いきなり何を言っているんだ、と苦笑する風のなつきは、それでも優しい顔をしていた。気を取り直したように頬杖を止めて椅子から立ち上がる。
「帰るの?」
「購買。午後から補習だからな」
舞衣も席を立つと、机の上に置いていた鞄を手に取った。笑いを含んで問い掛ける。
「へぇー珍しい。サボらないんだ?」
「成績が悪くて留年なんてご免だ」
補習を受けるというのに、ふん、とどこか不敵そうな顔のなつきは、いつもの調子に戻っている。なーに格好つけてんの、と舞衣は笑った。
「え? 参加するって聞いてるぞ」
なつきの言葉に、静留は不思議そうな顔をして湯飲みをローテーブルに置いた。
「何でやろ。珠洲城さんに何度か聞かれて、断ったはずなんやけど」
「そうなのか?」
「ええ。それにその日ぃはお茶の生徒さんに呼ばれて、予定も入れとるし」
ダークブルーのソファーに座り、なつきは不可解そうな顔をした。確かに舞衣は静留も参加すると言っていた。隣に座っている静留は、片手の人さし指を頬に当て、記憶を手繰っている。
「‥‥確か、珠洲城さんと学食で会うて‥‥」
静留にしては珍しく、なかなか思い出せないようだった。暫くそうしている静留をなつきが眺めていると、静留はやっと言葉を紡ぐ。
「‥‥ああ、あかん」
「どうした」
「多分うち、断るつもりで、つい、考えさせてもらいます言うてしもたんやわ」
珠洲城さん、それを言葉のまんま受け取りはったんやね、と静留は苦笑した。取り合えず静留が返事をするまで頭数に入れておいたという事らしい。
「あれから珠洲城さんには会うてへんし。困りましたなぁ」
「用事があるなら仕方がない。止めるか」
「なつきが止める必要はないんと違いますん?」
静留に柔らかく笑まれて、なつきは少しそっぽを向いた。言われてみればそうだ。
「珠洲城さんの別荘やったら、美味しいもん食べさせて貰えるやろ」
「え? 温泉だぞ?」
「そうなん?」
話が見えない。なつきは静留と顔を見合わせた。
「ほな別荘に温泉ひいてはるんやろか?」
「宿の名前、確か、ときわ屋だぞ?」
なんやろ?と暫く静留は首を傾げていたが、なつきはソファーの上に胡座をかき、背凭れから背中を離した。何だか旅行自体がどうでもよくなっていた。
「別にいいか。行かなければ関係ない」
「行かはったらええやん」
何となく黙ってなつきが前を見ていると、隣の静留がお茶に手を伸ばしながら言った。
「折角誘って貰たんやし。用事いうても昼間だけやさかい、うちも後から行きますえ?」
「おまえは断ったんだろうが」
一緒じゃなければ嫌だと駄々を捏ねてしまったような気がして、なつきは嘯いた。静留の方を横目で見ると、静留はどこか嬉しそうに、口許を湯飲みで隠して上目遣いでなつきを見ている。
「気ぃが変わったんどす」
しれっと言い切って、静留はお茶を啜っている。なつきは何だか進退極まった気分になった。静留が行くなら行きたいのだが、明らかに付き合わせてしまっている。何と返事をしたら静留に笑われずに済むだろう。
なつきってさぁ、結構判り易いよね、と脳裏を過った舞衣の言葉に、うるさい!となつきは心の中で突っ込んだ。
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