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夏兎
 

1

「今夜花火行かないか?」

いつものように訪れたなつきの部屋。
昼食と掃除を済ませて寛いで、夕飯の買い物に行こうとしたら。
思いついたようになつきはそう言った。
なのに、バイクが止まった駐車場は美星の海岸沿いの繁華街とは離れた場所で、盛況な祭の当日の割にはまだ空いていた。

「静留、こっちだ」

なんとなく意気揚々と道を示してくれる。
バイクに乗せてもらえば、なつきの方が道には詳しい。駐車場がある場所に詳しいのも当たり前のことだ。だから、別に驚くことでもないのだけれど。
なんとなくなつきがずっとそわそわしていたのは、きっとこのせいで。

いつもより少し素っ気無いのに、どこか楽しそうななつきの背中。
夕闇もまだ来ない道の上。少し膨らんだ白いシャツ。
ゆるりとぬるい風が行き過ぎる。
遠い喧噪。蝉の声。
彼方の空から、ぽん、と空砲が鳴る。
見上げれば、ぽっさり浮かんだ作り物みたいに近い雲。

「おーそーいー。早くしろ」
「そない慌てんでも。花火は逃げていかへんよ」
「今音がしただろう」

隠し切れずにはしゃいでいるようななつきの無邪気な言葉に、静留は思わず口許を綻ばせた。




今日はずっと先導してくれるつもりなのか、なつきは人混みを掻き分けてゆく。混雑の中、ほんの僅かできた空間。視線をやると、なつきの後ろ姿、ほっそりしたジーンズのお尻のあたりで白い左手の掌が心持ち開いて、うさぎの尻尾のように手持ち無沙汰に揺れている。
何となく視線を離せずにいると、歩く時もそのまま左手を前にやろうとはしない。
黙ったままの背中。時々ぽん、と、どこかつまらなそうに揺れる掌。静留は胸の内でふと笑った。

ほんまに‥‥なんやろなぁ‥‥。

人目の中だからどうしようか迷ったのだろう。けれど、そんな風に躊躇っている方が返って意識していると言っているようなものなのに。

ぽんぽん。

釣られて、今度は俯いて少し顔に出して笑った。本当に、こういう所が、妙に可愛い。
ここだ、と時折思い出したように、小さく自己主張する手を眺めているだけでも、人混みも暑さも時間すら忘れそうだったが、それでは大事な大事な白兎が逃げてしまう。少し進んだ人波の動きのままに、ついと右手を伸ばす。なつきは確認するように少し俯いて、そのまま前を向いている。何の反応もしてくれない。と、きゅ、と確かめるように指先を握り返された。
なんとなく顔が見たくなって空いた人混みの隙間に少しなつきの横に並びかける。僅かに振り向いたなつきに笑いかけると、なつきはほんの少しだけ居心地の悪そうな顔をする。

「‥‥はぐれると困るからな」

小声だが強めの口調。自分に言い聞かせるようにそう言って、少し怒ったように顔を背けるなつきの横顔がおかしくて笑いを堪える。確かに、こんなに人目のある中でなつきが手を繋いでくれるのは珍しい。一大決心だったのだろう。
理由が先か、気持ちが先か。まあ、そんなことは野暮な話だ。

「ほんま、迷子になりそうやわ」

それきりなつきは黙っている。
でも、一緒に黙って連れ立って歩いていると浮かんでしまう。
ぴょこぴょこ跳ねていた、呼んでいるような掌。一体いつからそうしていたのか──

「何笑っているんだ」
「ん? 花火、楽しみやなあって」
「‥‥‥。」

静留に耳打ちをするように話し掛けてきたなつきが、ふいと前を向く。嘘をつけ、とほんの僅か拗ねたような顔。こうやってからかってしまうから不貞るのだと分かってはいるのだが、反応が可愛過ぎて、どうしてもつい構いたくなってしまう。

「なつき」
「なんだ」
「おおきに」
「‥‥まだ見ていないだろうが‥‥」

どうやら祭気分に浮かれているのは周りの喧噪だけではない。まあこういう時は楽しんでしまうに限る。人波に押されたまま、静留は微か眉を上げて口許で笑って少しなつきに身を寄せた。

人いきれ。温く僅か湿った空気。
雑多な喧噪の中、緩く抱き締めるように繋いだ手の、触れ合っているくっきりと間近な確かな体温。
暫く黙って進まない道のりを歩いていた隣のなつきが少し俯く。内緒話のような、ぼそりとぶっきらぼうな小さな声。

「‥‥静留」
「ん?」
「暑い」
「せやなぁ。夏やし」
「‥‥‥」

無言の視線が束の間絡む。

おい。
ん?
もう少し離れろ
い・や・ど・す。
おまえな

身体を軽く押し合い、表情だけで言葉を交わして、細めた瞳で笑い返す。
まあ、名残惜しいが潮時か。そう思っていた静留の横で、まったく、と呟く声がした。一瞬笑っているようにも見えた横顔がひどく優しくて、すぐに消えてしまったその表情に、内心とくんと少し体温が上がったような気がした。
なつきはそれからもう、暑い、とは言わなかった。




過ぎてしまうと、終わってしまうと淋しいのはきっと。
それがとても楽しかったから。

名残りを惜しむように、随分と暑さの退いた夜風の中を歩く。
気がつけば、いつもよりとてもゆったりになっている歩調。でもそれが心地よかった。
静留と並んで、夜店で買った一本の綿菓子を摘みながら空を見上げると、それこそ綿菓子のような雲の向こうに月が見えていた。

あれが凄かった。あれが好きやった。
大きな音だったな。綺麗だった。最後のなんか、もう本当に。
混んでたな。でも楽しかった。
過去形の会話に、なんとなく黙り込んだ。
駐車場までの、割に静かな長い道のり。

寄っていかないか、と言おうとして、なあ、とふたり同時に言いかけて、なぜか照れくさくてまた黙り込んだ。代わりに、なんとなくそうしたくて伸ばした手。
静留はその掌を一瞬きょとんと眺めて、それからなんだかとても楽しそうに笑った。

「今日なぁ、兎がおったんよ」
「ん? 夜店か?」

ミニサイズの兎でも売っていたのかと思いながらなつきが聞き返すと、手を取った静留はひとりで笑っている。

「えらい可愛いらしい兎さんやったなぁ」
「まぁ、確かに可愛いけどな」
「──」

ああいうのは私はあまり好きじゃないな、となつきが言葉を続けようとしていると、ふと小さく吹き出したように笑って、静留はなつきを見てにっこりしている。

「な、家、寄っていかへん? 後でお腹空きますやろ。ちゃあんとしたもん何も食べてへんし」
「ん、ああ」

次にすることが決まったからなのか、なんとなくいつもの歩調に戻りながら二人で歩く。なんだか楽しそうな静留に理由を聞いても、綺麗に笑っているだけで結局教えてくれなかった。

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