きゅぽん、と心地よい音が響く。
柔らかな間接照明に照らされた部屋。
明るい藍色のセーター姿のなつきは、ソファーに浅く腰掛けたまま、シンプルで流麗な線を描くワイングラスに、こぽこぽと静かな音を立てながら丁寧にワインを注ぐ。
少し注いだ所で、なつきは一度尋ねるように隣に座る静留の方を見た。
なつきの右手の中、ボトルのラベルはきちんと静留に見えるように向いている。背凭れから身を起こし、見守るようになつきの様子を見ていた静留がテイスティングを笑みで辞退すると、なつきはまた慎重にワインを注ぐ。
一体どこで覚えてきたのかソムリエごっこをしながら、なつきは大事そうにふたつのグラスにワインを注ぎ終えた。グラスの上でくるりとボトルを回して雫を切り、左手にしていたクロスで一度ワインの口を拭いローテーブルの上に置く。普段のなつきからは少し想像がつかないほど丁寧な所作。ソムリエナイフからくるくるとコルクを抜くと、ボトルの口に逆さまにぎゅうと押し込む。
別に決めた訳ではないが、毎年、ワインを抜くのはなつきの役目だった。
少し緊張していたのか、なつきは、ふぅ、と小さな息を吐き、壁際の時計を見る。
「間に合った」
「せやね」
去年はコルクが抜けなくて大変だったのを静留は思い出し、なつきに気付かれないように少し笑った。なつきも去年の事を思い出しているのか、ほんの少しだけ難しい顔をして、ワイングラスを静留の前に置く。
「おおきに」
ふ、と小さな笑いでなつきは返事をし、背凭れに背中を預けた。
ふわりと漂ってくる優しい柔らかな香り。品の良い艶と華があり、しっとりと馴染むようで心地よい。そういえば、このワインを飲んだ店でなつきは真剣にソムリエの動きを見ていた。
勉強しとったん?
負けず嫌いのなつきのことだ。今年は完璧に役目をこなそうとしてくれていたのかも知れない。隣のテーブルで給仕をするソムリエの姿まで横目で追っていたなつきを思い出し、ふと愛おしくなって、静留は右隣に座るなつきに身体を寄せた。気付いたなつきのきょとんとしたような顔。ワインの香りに重なってなつきの髪の香りがした。そのまま静かに頬に口付ける。
「何だいきなり」
なつきを見つめたまま、静留はそっと身体を離す。少し怒ったように照れる所も雰囲気に疎い所も、いつまで経っても全然変わらない。
「お・れ・い・ど・す」
「おおきにって言ったじゃないか」
「嫌なん?」
「‥別に」
嫌じゃないけど、となつきは視線を逸らして口の中でもごもご呟いている。ちらりと静留の方を見ると、なつきは何かに気付いたように、ふ、と急に優しい様子で笑った。そのまま、微笑んでなつきを見ていた静留の、ほんの微か寄っていた眉間の辺りを右手でちょんと突く。静留は思わず目を瞑った。
「?」
「嫌じゃない」
なつきにしては珍しい行動に静留が少しきょとんとしていると、なつきは背凭れから身を起こしながら少し呆れたような風情で笑い、言葉を証明するように静留に軽く口付けた。
こういう不意打ちもちっとも変わらない。
僅かに驚いた顔をした静留は、やがて深いような微笑みを浮かべた。静留の左手が引き寄せられるようになつきの身体に回る。
「おい待て日付けが変わ‥‥」
掌に感じるセーターの柔らかい感触。なつきを抱き寄せたまま、厳かなような少し長めの静かなキスを交わす。
「‥‥過ぎちゃったじゃないか」
顔を離した後、時計に目をやったなつきは少し困り顔でそう言った。次いで照れ隠しのようにひょいと身体を起こす。静留が釣られて離れると、なつきはまだ口を付けていないワイングラスを手に取り、思いついたように静留に渡した。静留の前のグラスを手にして、なつきは綺麗に静留に笑み掛ける。
「おめでとう」
「おおきに」
チン、と小さな高い音。
静留は一度くるりとルビーのようなワインをグラスの中で回して立ち上る香りを楽しむ。透明な深い紫が艶やかな香りを放って鼻孔をくすぐった。丸く切り取られた濃い紫の縁が透けるような褐色を帯び、回した時にグラスの内側についたワインがゆるりと流れ落ちている。
「ん、うまいな、これ」
「食べながら飲まなあかんえ?」
「ああ」
なつきはローテーブルの上に置かれた皿からチーズをひとつ摘むと口に入れた。なつきはそんなに酒に強い方ではない。
なつきの様子に満足して静留はワインを口に含んだ。芳香が一層強くなり、口腔にひとつ世界が広がる。見た目の色を裏切らない重めのしっかりした味。若いワインではないので円を描くように全てが馴染んでいて、調和がとても綺麗に取れている。
「ワインって成長するんだよな?」
心を読まれたような気がして静留がなつきを見ると、なつきはワインのラベルを見ている。
「時間掛けてゆっくり成熟するんやろね」
「来年用に、1本買って取っておこうか」
静留は視線を落としてワイングラスを見つめた。
そんなに遠い約束は──
「えらい気に入ったんやね。鬼さんが笑ろてはるえ?」
「いい香りだし。これがもっと良くなるのか」
「せやなあ。そんなに高いワインと違うし、どうやろね。それに」
少し不安になるから──
僅かに生まれた沈黙に、なつきはグラスを片手に静留の方を向く。静留は少し困ったような顔でなつきに言った。
「保存するんが大変そうやわ」
「横にして置いておけばいいんだろう?」
「1年もそのまま置いたら駄目やろね」
1年後も隣に──
「ワインは呼吸してはるんやて。温度変化にも弱いし、湿度もな、必要なんよ」
「デリケートなんだな。生きてるみたいだ」
なつきはちょっと残念そうにワイングラスを見つめて香りを嗅ぎ、気を取り直したように静留に笑顔を向ける。
この笑顔があってくれるのかと──
「まあ、来年の誕生日近くなったらまた買えばいいか」
「せやね。一緒に選んでな?」
分かった、となつきはワインを口にした。グラスを少し弄んで香りに浸っている。静留はなつきの表情に口許を少し綻ばせた。
「そんなに気にいったん?」
「ん?」
静留は笑いながらワイングラスをローテーブルに置いた。
「なんやちょぉ妬けるわ」
「ば、あのな」
また照れかけるなつきに、すいと身を寄せて静留は左手でなつきのワイングラスを奪う。そのまま半身だけ振り向いてローテーブルの上に置く。カタリ、と硬質な音。
「ほなクリスマスもこれにしよ?」
遠い約束はいらない。不安になる。
だから小さな近い約束を、少しずつ積み重ねて──
小首を傾げて微かに微笑む静留に、流石にこれには雰囲気を悟ったのか、なつきは少し困ったような優しいような顔をした。
「どうしたん‥」
なつきの声を静留の唇が塞ぐ。なつきの唇は僅かにワインの味がする。タンニンの微かに苦いような渋み。
ずっと隣にいたい。側にいて欲しい。
永遠に変わらないものなどないと分かっている。
けれどこの想いだけは変わらないのだと矛盾を承知で確信している──
戯れて、じゃれるように口付けあう。静留の背中に腕を回したまま、なつきが静留の肩口に顔を預けた。視界に入ったボトルに、なつきは思いついたように口を開いた。
「やっぱり来年もこのワインにしないか?」
「なんやの急に?」
少し身体を離して静留が尋ねる。少し考えるように斜め上を見ながら、静留の言葉には答えずになつきは言った。
「違う匂いなのに、なんでだろう」
イメージってやつかな、と、普段のなつきからはあまり聞かないような言葉を呟きながら、なつきは少し顔を傾けて、静留に笑い掛けた。
「おまえみたいだから」
ワインの香りに浸るようだったなつきを思い出して、静留の頬が思わず僅かに紅く染まる。まさか自分の事を考えているとは思わなかった。
「なつきがええんやったらそれで」
「すまない、なんかこれじゃ誰の誕生日か解らないな」
なつきは苦笑しながらソファーの背凭れに寄り掛かる。そんなん気にせんでええ、と静留は笑った。
「せやなあ。なつきの誕生日、うちがワイン選んでええ?」
「うん」
遠い約束に向けて。
小さな近い約束を、少しずつ積み重ねて。
なつきが身を起こしてワイングラスに手を伸ばしかけると、ふと笑って静留は言った。
「なあ、それ、うちを飲むん?」
「‥ぶっ! ば、へへんな言い方するなっ!」
思わず手を引っ込めて、静留から顔を隠すように背を向けたなつきを、静留は背中から柔らかく抱き締めた。なつきは耳まで真っ赤になっている。
時がワインを育てるように。
互いの絆がもっと深まるように、少しずつ時を重ねて。
「誕生日、なつきに似合うワイン探しますな」
「探さなくていい!」
「なつきやったら白ワインやね」
「だからいいってっ」
「スパークリングワイ‥」
「静留っ」
ずっと、一緒に。
(了)
後書き:
静留、誕生日おめでとう! ‥‥で初めに書いていた話。
‥‥ばかっぽー‥‥話の半分はキスしてないか?(苦笑)
なんかもう‥‥誰なんだ君たち。でも折角だから曝してしまえ(をい)
すみません、いちゃつかせたかっただけなんです。普段できないので(爆)
自業自得か‥‥orz
一応設定としては静留が大学4回生くらい。なつきも同じ大学の学生。
静留の影響で、なつきは多少、昔より味覚肥えてます。
アニメブックの冷蔵庫の中の静留用の酒を、勝手にワインと解釈。日本酒かとも思ったんですけど。
某所の鏡のssと、カードダスマスターズの書き下ろし静なつ絵と、あの絵に関する妄想のやりとりに触発されて、誕生日だし幸せなのをと思った挙げ句、見事玉砕風味で時間切れ。
甘い話、ほんと難しい |||orz
2005.12.20
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