blank_logo  <舞-HiME SS>
forbidden
 


黒く沈んだ深い森に囲まれた静かな湖は、柔らかな月光に包まれている。
その畔で、月明かりに染まって静留は白い月を見上げて佇んでいた。
何かを思うように視線を落とした静留の動きが止まる。
鏡面のような湖に、僅かに揺らいで月が映っていた。
両腕で自分を抱き締めて佇んでいた静留は水際へ寄る。
水面に映った僅かに揺れる月に誘われるように、自分を抱いていた両腕を解き、そっと歩を踏み出す。
僅かなさざ波を立てて、ゆっくりと湖の中へと進んで行く。いつの間にか何も身に纏っていなかったが、無音の月光の中、ただ月の影を追う。

静留がつけた緩やかな輝線が湖面に広がる。
月明かりを微かに反射して同心円上に広がってゆく。
腰まで水に漬かったあたりで静留は歩みを止めた。
静留が起こした最後の波紋に揺れる湖面の月は、近寄っても逃げるようにゆらゆらと遠い。
見上げると白い月は少し高くなったようだ。
漆黒の闇を切り裂いて昇り行く月を、月光に身を染めて、ただ静かに眺める。

やがて南中した月が静留の上から光を落とす。
すぐ目の前の湖面には揺らぐ月。
手を伸ばして濡れた指先で触れれば波に崩れる。
そして静留を待つかのように姿を戻す。
どんなにそっと指先を滑らせても波紋に砕ける光。乱れて揺れて散ってゆく。
崩れた光を両手で水ごと掬い上げ覗き込む。
手の中の水面に映った鼓動に震える月。
指の間から少しずつ零れる雫。濡れた自分の掌だけが残る。
湖水に手を差し入れて、湖面に映る月の下に優しく両の掌を添えた。
月光の中、そうしてやっと、静留は月を手に入れる。

これ以上ないほど幸せだった。



すうっと、曖昧に緩やかに覚醒する意識。
気づかぬままに目を開ける。薄闇の中に見慣れた自分の部屋の天井。
綺麗な柳眉が苦いように眇められる。

‥‥うち‥また‥

静留はベッドに仰向けに横たわったまま目を閉じて、左手で自分の顔を被った。今日の夢は一段と酷かった。闇の中、とくとくと鼓動が少し早い。下腹がじんわりと疼いて焦れている。
はあ、と顔を被った手の下で静留は息を吐いた。掌と唇に感じる、その熱さが辛い。
何度も見た夢だ。意味などとうの昔に本当は気づいている。
あれはなつきの夢だ。なつきの全てを手にいれる夢。
なつきに染まって、なつきを抱く夢。

‥嫌や、こんなん‥

左手をずらして前髪をぐしゃりと掴む。額に掌を押しつけて、静留は溜め込んだ息をもう一度吐き出した。そんな事を考えながら眠りに着いた訳ではない。

意識して押さえつけている願望を、静留の無意識が主張し続けている。
夢の姿を借りて、まざまざと静留に見せつける。意識が夢を否定して、眠りから醒めてしまわないように形を変えて。どんなに頑張ってみたところで、無意識までは縛れない。
──なつきが欲しい。愛して欲しい。

なつき‥

掌の下で眉根を寄せ、ぎゅっと瞼を閉じる。考え込む度に知らず止まる呼吸。ひと息ごとに溜め息になる。諦めたようにひとつ深く吸って吐き出して、遣る瀬なさに静留は伏し目がちに瞼を開いた。耐え切れずに何かから目を逸らすように左の虚空の闇を見る。
こんな思いに支配されたくない。けれど夢に起こされた身体は切ないままで。
身を持て余して乱暴に寝返りをうった。身体も覚醒しだしたのか抑えようと意識すればするほど疼くような気がする。

‥なつき‥うち‥

望むものを否定する代償に夢を見る。そうでもしなければ心が焼き切れてしまう。人の心はそんなには強くない。

うち、ほんまは‥

それを思っては駄目だと静留は身体を入れ替えて気持ちを逸らそうとした。右手をずらしたはずみに指先が太腿に微かに触れた。敏感になっているのか、それだけで意識とは別の生き物のように身体の芯がもどかしい。それが情けなくて苦しくて静留はきつく瞼を閉じた。堪え切れずにひとつ溢れた涙が耳へと流れ落ちる。

‥なつき‥こんなん嫌や‥ 淋し過ぎて‥嫌や‥

認めてしまって持て余した心と身体に、もう全部身を任せてしまおうかと思った時、ふと脳裏に浮かんだものにぞくりと甘い悪寒が走った。

──ただ一度だけ、すべてを踏みにじって自由にしたその素肌

弾かれたように一瞬思考が凍りつく。思わず呆然として、それから身を裂かれたような面持ちで、静留はずるりと引き摺るように上半身を起こした。

口付ける気にはなれなかった
貪った素肌 返らない返事

待って、お願いや、もう──

触れているだけで火照るのに共有できない同調しない体温

気が、狂れる。
淀み無く流れ再生される自分の感情に立ち上る寒気。やめろと両手で腕を渾身の力を込めて掴んで屈み込む。だが溢れ出した記憶は止まらない。

淋しくて満ち足りて虚しくて愛しくて苦しくて狂おしい
永久に失われてしまうかも知れないその定め

好きだった護りたかった大切だった愛していた許されなかった欲しかった
なにもかもがすべて嘘ではなかった

応えのない身体にふと我に返り 手の中にあるのに独りを思い知らされる
彼岸のよう 決して届かぬ向こう岸
それでも離れる事はできずに 確かな体温に安堵した

──永劫の過ち。
解るのは過ちを犯したという事実だけ。
許されなくても消せない、なつきへの想いだけ。

呻くように静留は息を吐き出した。堪えるように屈んでいた上半身を起こすとゆっくりと両手の力が抜けた。ぱたりと力なく両腕は布団に落ちる。知らず息が漏れた。

いつも頭から離れないという訳では無い。なつきが救ってくれた。
けれど忘れ去る事も出来ないのは後悔からか。それとも。

即答すべき事なのに、本当か、本当にかと心の奥底を辿れば辿るほど、そんな事すらどこか曖昧模糊として解らなくなってゆく。
ふ、と痛いような嗤いが漏れた。

「‥‥最低、や‥」

ぽつりと冷たい呟きを残すと、ベッドから身を起こし、零れた涙を拭いもせずに静留は洗面所へと向かった。

明かりも点けない夜明けの薄闇の中、洗面台の鏡を一瞥し、静留は視線を落とす。暗く陰った自分の影は、案の定、ろくな顔をしていない。蛇口のハンドルを回して執拗に手と顔を洗う。凍るように冷たい。手に触れるその水も、素足で踏んでいる床も。

シャワーを浴びる気だったが、いっそのこと水でも浴びようか、と静留は思う。 そうしたらこの身体に染みついた暗い想いも流せるだろうか。欲望を消し去ってしまえるだろうか。凍りついて全て無くしてしまえるだろうか。

何時の間にかただ水が流れるのをぼんやりと見つめているだけなのに気づいて、ハンドルを捻って水を止め、静留は洗面台の縁に濡れた両手をついて低く項垂れた。落ちた髪の影、掌の下の陶器のそれは凍えた指先にも冷たかった。

なつきを独りでただ想っていた頃、これ以上もう好きになれないと思っていた。 なつきがいれば何もいらないと。

なつき‥

けれど心を向けてくれたなつきといる時間は、以前にも増して春の日溜まりのような温もりで。
清冽な視線の強い光に捉えられて、心は身動きひとつとれなくなる。
時折見せてくれる驚くほど優しい素振りに胸が焼けるようで。
それが嬉しくて愛しくて。
気がつけばもっとなつきを好きになっている。
失いたくなくて、嘘が上手くなってゆく。
二度と破ってはならない禁を求めるこんな身で。

‥なつ‥き‥

両手を洗面台に掛けたまま、それに凭れるように崩折れて床に膝を突き、静留は嗚咽を噛み締めた。

泣き叫んだら、心は少しは楽になるのだろうか。
少しはなつきに届くのだろうか。
心は縛れない。解っている。
でも、今は。

泣きたい。



<top>  <2>

Copy right(C)2005 touno All Rights Reserved
SEO [PR] 爆速!無料ブログ 無料ホームページ開設 無料ライブ放送