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fondly
 


時分時だったので、静留は夕飯を作るとなつきに言ったのだが、病人に飯なんか作らせられるかと思い切り言い返されてしまった。もう平気だと言ったのに、なんだか重病人みたいな扱いだ。それくらい用意するから待っていろ、となつきは寝室を出ていったので、多分何か買ってくるのだろう。少しだるい気がする程度だが、熱があるのは本当なので静留は大人しくなつきの言葉に従った。カーテンを少し開き、なつきが出掛けた夜の街を窓際で暫く眺める。見慣れた風景なのに、そこを歩くなつきを思うと、階下の明かりが親しいものに感じられる。
かなり長い間窓の外を眺めていて、窓ガラスからの冷気に静留は我に返り、カーテンを閉めると窓際から離れてベッドに片手を突いて腰掛けた。
いつも通りの自分の寝室。
なつきが戻って来てくれると思うと、何となく部屋の空気まで変わるような気がするのが不思議だ。

『私の部屋は凄い事になっているし』

思い出したなつきの言葉に、静留は少し溜め息混じりに笑った。
なつきの事だから、気が向いた物に手を出して、片付けずに次の事を始めるから、きっと本当に凄い事になっているに違いない。

『テストも全然出来なかった』

追試になったりしないといいのだが。だからちゃんと勉強しろと──

『気張れるか。おまえのせいだ』

情けないような顔で小さく笑って、静留は少し俯いて目を伏せた。
なつきに悪いとは思う。でも、自分のせいでテストが出来なかった、というなつきの言葉を嬉しく思う自分がいる。
落ち掛かった横髪を左手で後ろに流し、静留はそのまま膝の上に手を置いた。

『会いたかったから』

なつきにしては珍しい、理由も理屈もない気持ちのままの言葉。
胸の内が暖かい。痛むように。凍えてかじかんだ指先が温んだだけの湯にも慣れないように。

‥‥うちかて逢いとうて‥逢いとうて‥

自分から距離を置いたのに、勝手な事を、とどこかで思う。

想いが違うのは辛い。今も。
受け入れて欲しい。この気持ちを。

きゅ、と膝の上に置いた静留の左手がスカートの生地を握り込んだ。
けれど自分でも気が付いていた中途半端な離れ方は。結局。

『‥‥ほんまはうち、なつきに逢いに来て欲しいだけやった‥‥』

自分だけがなつきを追い求めているのが苦しくて、淋しくて。
傷付けそうになる自分が怖くて。
許して、欲しくて。
側にいる事を。
思えばずっと、なつきの事を待っていた。

ふと静留は伏せていた視線を僅かに上げた。

‥‥なんでなつき、うちが居る事知ってはったんやろ?

偶然にしてはタイミングが良過ぎる。だとしたら。

‥‥逢いに来てくれてたんやろか‥‥

何時からなのか、時々なのか毎日なのかは解らない。
でもきっとひたむきななつきの事だから‥‥

じんわりと喉の奥が痛む。思わず眉をしかめると、玄関の方から扉を開ける音と、ただいま、という声がした。
息を吐いて気持ちを落ち着けながら、ゆったりベッドから立ち上がり静留は迎えに出た。玄関から居間に入って来たなつきが外の冷気を孕んでいるせいか、空気が流れて色を増す。寒く感じるのに気持ちが暖かくなる。

「おかえりなさい。おおきになあ、寒かったやろ?」
「なんだ、寝てないのか」

少し呆れたような口調でなつきは言った。

「たいした事あらへんし」
「いいから寝てろ。台所借りるぞ」
「ええけど、何しはりますん? うちがやるさかい」

そのまま台所に向かうなつきの後を追って、静留も台所へと向かう。振り向いたなつきは心外そうな顔をしていた。コンビニの袋から、銀色のアルミホイルの鍋に入ったうどんを取り出しながら、ちょっと怒ったようになつきが言う。

「あのなあ。温めるくらい私にもできる」
「そうどすか」
「そうどすだ」

むっとした口調で変な返事をするなつきに、まあ温めるだけなら大丈夫だろう、と静留は任せる事にした。それになつきが作ってくれる物をちょっと食べてみたい。今は少し、甘えてみたかった。

居間でソファーに腰掛けて暫く待っていると、あれ?とか、あつ、とか不安になるような小さな声が台所の方から聞こえてくる。やっぱり自分でやった方が良かったか。火傷でもされては困る。

「なつき?」
「あーなんでもない。大丈夫だ。こっち来るな。来たら怒るぞ」

これでは心配にならない訳がない。
静留がソファーから立ち上がって台所に向かいかけると、よし!と声がした。
コンロの前に立つなつきの後ろ姿に静留は声をかけた。

「ほんまに大丈夫なんやろね?」
「馬鹿にするな」

静留の言葉に、なつきは憮然とした顔で振り向いた。

「火傷とかしてへん?」
「え? ああ、平気だ」

なつきは少しぽかんとしてそう言い、それから、皿あるか?と聞いてくる。
静留がコンロに向かうと、使い捨てのアルミ鍋の中、うどんが煮えていた。なつきはコンロのスイッチを切り、静留が出した皿に、ミトンの鍋掴みをつけてうどんの鍋を置いた。

「待たせた。ほら」
「なつきが先に。後はうちが」
「後? もう終わりだぞ?」

そう言ってなつきはコンビニの袋を提げ、うどんの乗った皿を持って、さっさと居間の方に行ってしまった。静留は怪訝な顔をして後を追う。
ローテーブルに皿を置き、ソファーとは反対側のラグの上に座ってなつきはコンビニの袋を漁っている。用意された皿の前に静留が座ると、なつきは袋から割り箸を取り出して静留に差し出した。

「黄身割れてるけど勘弁しろ」
「それはええんやけど」

箸を受け取りながら、静留が、なつきの分は?と尋ねると、あるぞ?となつきは不思議そうな顔をした。それから袋から缶コーヒーとサンドウィッチを取り出す。なつきは無造作にサンドウィッチの袋を開けると、一口齧って、静留の方を見た。

「食べないのか?」

静留は湯気を上げているうどんを見つめた。なつきの前に置いてある缶コーヒーは、きっともう冷めてしまっているだろう。

「待っといてな。お茶、淹れるさかい」

静留が腰を浮かし掛けると、なつきはそれを引き止めた。

「いや、コーヒーがあるし」
「せやけど冷めとるやろ」
「別に構わないぞ? それにうどんが冷める」
「そやかてうちだけ」
「折角作ったんだから素直に食べればいいだろう? 何が駄目なんだ」

ぷいと不機嫌な顔をして、サンドウィッチを袋の上に置き、なつきは缶コーヒーに手を伸ばす。
なつきがうどんの出来を気にしているのだと気が付いて、静留はなつきに向かって笑いかけた。既製品とはいえ、初めて作ってくれたのだ。

「せやね。折角のなつきの手料理やし」
「大袈裟な事言うな。うどんの方が消化がいいと思っただけだっ」
「おおきに。ほな、いただきます」

バツが悪そうになつきは缶のプルトップを引き、口を付けた。静留はうどんを一口食べると、ほっと息を吐き、ふわりと笑って呟いた。

「ん。おいし」
「当たり前だ。出来合いなんだから」

食べてもいないのになつきはそんな事を言う。怒ったような顔をしてそっぽを向いている。

「ほんまにおいし。なつきも食べてみぃひん?」
「私はいい」

そう言って横顔を向けたまま、なつきは冷めているだろうコーヒーを飲む。
湯気を上げているうどん。
本当に美味しいし、心遣いが嬉しいと思うけれど、どうにもいたたまれない。数口食べて、静留は箸を揃えて皿の上に置き、観念したように口を開いた。

「なあなつき」
「なんだ」

なつきは煩そうに振り向く。困ったような顔をしている静留を見てか、慌てたように言葉を継いだ。

「あ、やっぱり不味いのか?」
「そんなことありません。ほんまにおいしおす。ただ、うちだけあったかいもん食べるんもなんや落ち着かんし。お茶淹れて‥」
「まったく。おまえは変な事気にし過ぎだ」

苦笑しながらなつきは続けた。

「具合が悪い時くらい、気を使うのはやめてくれ。別に私は構わないんだから」
「せやけど」
「ああもう! あ、じゃあそれ一口寄越せ。味見させろ」

言ってなつきは静留の前のうどんを手前に引き寄せ、箸を掴んで一口啜った。

あ。

「ん? まあいけるか。ほら」

なつきはそのまま箸を置いて皿を静留の方へ戻す。

「これで文句ないだろう?」

うどんの味に気を良くしたのか、先程とは違って機嫌良さそうに、なつきはサンドウィッチに手を伸ばす。強引な理屈だとは思っていないようだ。

「ええ‥」

些細な事だと分かっている。ただ、意識してしまうと少し気恥ずかしい。
なんでなつきはこうなのか。
静留は何となく覚束ないような心持ちで箸を取った。半ば崩れた卵の白身の部分を切って、少し複雑な気分で口に運ぶ。

カリッ

「──?」

白身を咀嚼すると口の中で異音がした。
なつきに見つからない様にさり気なく顔を背けて指に乗せると、小さな卵の殻。どうやら未だに上手く割れないらしい。

「ふふっ」
「んー? どうかしたか?」
「なあ、今度お料理作る時は、少し手伝うてもらってもええやろか?」
「構わないが?」

なつきらしくて可愛いけれど、取り合えず、卵くらいは割れるようになった方がいいだろう。茶わん蒸しでも作ろうか。早く熱を下げて、なつきの部屋にいかないと。掃除も洗濯もきっと大仕事だ。

そんなことを考えながら、静留は笑ってなつきの休みの予定を尋ねた。
明日からずっと空いている、とサンドウィッチを頬張ったまま、なつきは嬉しそうに答える。

なつきの作ったうどんを食べ終えて、静留はなつきに笑い掛けた。

「いやぁ、おいしかったわぁ。ほんまおおきに」
「大袈裟なんだ。これくらい」

そう言いながら、なつきは満更でも無さそうだ。

「ごちそうさま」

色んな意味で、と悪ふざけの様に心の中で付け足して、静留は手にしていた箸を置いた。少し楽しいような淋しいような、ほんの些細な秘密。


外はしんと冷えた寒い冬の夜。
ふたりでいる部屋はこの上もなく暖かい。
なつきが側にいてくれるのなら、もう少し起きていようか──


(了)



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