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fondly
 


夕方までは持つだろうと多寡を括っていた冬空は、見事になつきを裏切って灰色の雲で被われていた。斑に明るい箇所があるのを見ると、降り続くといった感じではなさそうだが、無視して歩けるほど雨足は弱くはない。まだざわついている教室を出て眺めた廊下の窓の外、放課後の喧噪を閉じ込めるように、静かに降りしきる細かい雨。ガラス越しに、水滴が綺麗に線を描いて幾条もの筋になって薄く風景に紗を掛けてゆく。

また傘が増えるな…

なつきは少し投げやりに鞄を肩に担ぐと、ビニール傘を買おうと購買へと足を向けた。バイクで来ていれば濡れるのも諦められたが、生憎ドゥカティは少々駄々を捏ね気味なのだ。少し回してやらないとまずい。

部活にでも出るのか、足早に廊下を過ぎてゆく生徒や、屯して話している生徒達の合間を縫って、特に急ぐでもなくなつきは歩く。

先日整備した時にスパークプラグを磨いたが、電極が少し磨耗していた。タンデムシートに変えた時に懇意になったドゥカティ専門のバイク屋にでも行こうかと思っていたのにこの雨だった。部屋に戻ってこの天気の中走るのは流石に気が重い。冬のバイクは兎に角寒い。
最近そんなに飛ばさないのはそのせいだな、と考えて、なつきは運転が穏やかになったもうひとつの理由に思い至った。

乗せて無茶はできないし。

というよりもしたくない。ふと微笑んでしまいかけ、なつきは誰も見ていないのに咳払いをひとつして右手で口許を拭い、ひとつ息を吐くと難しい顔を装った。

そういえば最近、静留を乗せて遠出をしていない。
それにどうしても抜けられない用事があるとかで、先週は静留はなつきの部屋には来なかった。大学の方が大変なのか、それとも年末も近くなって、お茶の稽古でもつける回数が増えているのか、平日も何かと多忙らしく、会える時間が無い。

「‥‥‥」

廊下の先の購買で店員が閉店準備をしているのに気付いて、なつきは足を早めた。



帰宅のピークを過ぎたのか、舞衣が昇降口に着いた時には人影が殆どなかった。掃除当番と日直の仕事が重なって少し遅くなってしまった。命は待っているだろうか、と舞衣が少し慌てて靴を履き替えて外に出ようとすると、空を見上げている後ろ姿が目に入る。素直に流れ落ちる艶やかな長い黒髪。
右手で髪を一払いすると鞄を肩に担いで、いかにも無造作に雨の中歩き出そうとする。

「なつき!」
「?」

声に振り向いた彼女は、雨の中を濡れて帰ろうとしていた割には、さして困った風でもなかったが、舞衣は近寄って話し掛けた。

「傘ないの?」

なつきはあっさりそれを認め、購買にも行ったが売り切れていたと言う。少し様子を見ていたのだが止む気配もないので帰ろうとした所だと事も無げに話す。

「だからって、走るとかさ、あるじゃない?」
「駅までじゃ濡れるのは一緒だ」
「一緒じゃないって。風邪ひいちゃうじゃない」

バイクで来ていたらどうせ濡れていた、という彼女の言い分は舞衣にはよく分からない。濡れた制服で電車に乗るのは嫌でしょ、と舞衣が苦笑すると、そうだな、となつきは言葉を返す。
まあ、歩き出して嫌になれば彼女も濡れないように走るのだろうが、放っておくとなつきは結構無頓着だ。小降りになって来たとはいえ、まだ雨は降り続いていた。

「ちょっと付き合ってくれれば、今日、命と買い物に行くから駅まで入れてってあげるけど?」

手にしていた明るい橙色の傘を少し掲げ、舞衣がなつきに言うと、じゃあ頼む、となつきは答える。教会で命が待っているからとなつきに告げると、舞衣は薄灰に沈む風景に暖かい色の花を咲かせた。橙色の影の下、二人は連れ立って歩き出す。

「なつき、もう少し寄ってくれない?」

傘からはみ出した自分の左肩をなつきに示しながら舞衣が言うと、悪い、となつきは傘を持つ舞衣の右腕に身を寄せた。
舞衣が雨の音に耳を傾けながら歩いていると、肩を寄せあって歩いているなつきがふと不思議そうに舞衣を見遣った。

「どしたの?」

しばし舞衣を見つめたままなつきは黙っていたが、前を向いて、別に、と呟く。それでも何処か考える様子で歩いている。

「なに?」
「いや、近いなと思って」

舞衣と自分の肩を見比べるように視線をやってなつきは言った。舞衣は思わず怪訝な顔になる。

「じゃなきゃあたしもなつきも濡れちゃうでしょ?」

今はいわゆる相合い傘で歩いているのだ。もともと1人用のスペースしかない所に2人収まっているのだからそれに文句を言われても困る。舞衣が呆れてなつきを見ると、なつきはぼそりと呟いた。

「そうだな。なんでもない」

なんなのよ、もう、と舞衣は不可解そうに息を吐いた。なつきは気が付いていないのだろうか。まあ、なつきが無頓着なのは行動だけではない。

ま、人のこと言えないけどね。

いつだって、自分の気持ちに素直になるのは難しい。それを今の舞衣はよく知っていた。

「何かあったの?」
「別に?」

本当に心当たりが無いように、なんでだ?と聞き返してくるなつきに舞衣は苦笑する。やっぱり気が付いていない。なつきに対して言葉を飾る必要も無いので、舞衣は単刀直入に言う事にした。

「凄く機嫌悪そうに見えるんだけど?」
「そうか?」
「何か投げ遺りだし。こんな天気なのに傘も差さないで歩く? 普通?」
「無いんだから仕方が無いだろう」

少し怒ったような顔で舞衣を見るなつきに、ほら、と舞衣は笑った。なつきは少々苦い顔をして黙って前を向く。

「今日さ、お鍋するんだけど、なつきも来る?」
「鍋? なんでいきなり」
「明日からテスト一週間前だから、その前にちょっと皆で集まろうかなって。ま、現実逃避っていうか景気付けっていうか」

自嘲気味にいう舞衣に、テストか、と溜め息混じりになつきは呟く。舞衣は苦笑しながら言葉を続けた。

「なつきは勉強できるんだからいいじゃない」
「詰め込めばな。別に何もしない訳じゃ無い」

詰め込んでも出来ない人間もいるんだけど、と内心苦笑しながら、溜め息混じりに、テストさえ無ければ学校、楽しいんだけどね、と舞衣はぼやき、気分を変えて話題を戻した。

「ま、なるようになるよね。で、どうする? 命と奈緒ちゃんとあおいちゃん、あと千絵ちゃんが来るんだけど。お鍋は大勢で食べたほうが美味しいし」

遠慮しておく、と、なつきは初めて薄く笑った。



バイク屋に相談して薦められた、いつもとは違うメーカーのプラグを買い、なつきは店の外に出た。濡れた街並を舐めて冷える外気に、ふるりと一度肩が震える。雨は上がっていたが、相変わらずいつ泣き出してもおかしくないような空模様だった。
真直ぐ帰ってプラグを変えてもよかったが、天候のせいか気が乗らない。整備は洗車をしてからしたかった。

シートに、プラグか‥‥

アドバイスを受けて選んだのは低速トルクを今までより重視したタイプ。

いや、まあ、冬だし。飛ばさないし。

ほんの少しずつ、自分の意志でドゥカティが1人乗りではなくなってゆく。
プラグを変えても、多分静留には解るはずもないのだが、なつきは痒くもない頭をぽりぽり掻くと、鞄を肩に担いで通りを歩き出す。車道の向いのビルに設えられた電光掲示の時計が目に入った。もうすぐ4時半。

「‥‥‥」

担いだ鞄の中、紙箱に入った2本のプラグは一歩進む度に背中に揺られてカチャリと小さく音をたてる。通りのショーウィンドウに飾られたオレンジ色の布をあしらったディスプレイ。舞衣の傘の色に似ている。

『凄く不機嫌に見えるんだけど?』

そんなつもりは無かったが、確かにあまり笑っていないような気がする。まあ、楽しい事も無いのにそうそう笑うこともない。

『何か投げ遺りだし。こんな天気なのに傘も差さないで歩く?』
『無いんだから仕方が無いだろう』

──時間が。

無いんだから仕方ないだろう?

明日からはテスト範囲も授業で示されるだろうし、サボる訳にはいかない。普段の授業は適当に流しているから、一週間で全部浚い直さなければならない。それにサボったところで。

なつきがぼんやり考え事をしながら歩いていると、目の前の交差点の歩行者用の青信号が点滅から赤に変わった。おっと、と思いつつ立ち止まると、なつきの背中で鞄が跳ねてカチャリとプラグがぶつかる音がする。大きな交差点の信号待ちは時間が長くて手持ち無沙汰だ。なつきは少し考えるような表情になり、それから道の端のガードレールに寄って背中の鞄を降ろすと携帯電話を取り出した。
雨の名残りで濡れた路面。勢いよく道路を通過してゆく自動車が、前の自動車の残した轍を踏み付けて連なってゆく。小さなざぁっという音が重なってゆく。微かに霧のように水が路面を舞う。
少し迷って、なつきは携帯電話の蓋をスライドさせた。短縮ボタンを押して電話を掛け、右手で携帯電話を耳に当てる。
自動車のエンジン音。轍の水音。どこかの店から聞こえてくる音楽。話し声。それが全部背景のように聞こえる、耳元のくっきりした呼び出し音。
聞こえてきたのは、誰とも知らない女の声のアナウンス。
なつきは携帯電話を耳から離すと、手早い動作で電話を切り蓋を閉めた。

仕方ないだろう? 不機嫌だって。



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