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「‥‥うちはあんたの、なんなんやろ‥‥」

静留の言葉に、愕然となつきは目を見開いた。突き刺されたように静留の声が胸から離れない。
問われた言葉に答えられず言葉に詰まってただ静留の瞳を見つめ返した。

口付けられるのかと思った。
微笑んだのに、苦しそうにも悲しそうにも見えた静留に、後のことや先のことは何も浮かばず、ただ、静留のためならそれでいいと、確かにそう思った。

──馬鹿か私は‥!

まだ心音がおかしいほど耳に煩かった。
見つめた先に、何か怯えたように問い掛ける少し濡れて見える赤い瞳。ついさっきまでのどこか浮かされたように張り詰めた空気は薄れている。込み上げてくるのは後悔と何か説明の付かない泣きたいような焦燥。

静留のためならそれでいい? 何様のつもりだ!
そうやって全部静留のせいにするつもりか。これからのことを。

その綺麗な赤い瞳を見つめ続けていられずになつきは視線を落とした。
我が侭だったのは今までずっと。それでも腕は離せない。
酷く自分が卑怯な気がした。

静留に答えを出させてどうする。
私は一度間違えて、取り返しのつかないことを静留に負わせたんじゃないか。
また間違えるつもりなのか。

いっそ流されてしまえたら楽なのか。
でも静留が優先するのはいつも自分のことで。今だけが例外のはずもない。
問われたのは、自分の気持ち。答の出ていない──言えるはずもない自分の。

‥‥すまない‥‥

耳元に、静留が息を飲む音が妙にくっきり聞こえた。

「‥‥堪忍‥おかしなこと聞いて。なつき。もう‥‥ええんどす」

──あんたは、受け入れられへん。

そう言われた気がして、なつきはぎくりと身を硬くした。

「おまえはっ、私の‥‥」

慌てて顔を上げたなつきの視線が、酷く穏やかで静かな静留の顔にぶつかった。微かに笑んだ口許に胸が締め付けられるように詰まった。

「無理せんでええんよ? あんた、さっきも答えられへんかったやろ。せやったら、それが気持ちのまんまの答えなん違います?」
「違う!」

堪え切れずに落ち掛かったような雨は、一度堰を切ってしまった後は耐えることが出来ないように、その勢いを強くし始めている。顔を上げたなつきに向かって、静留は淋しい声で呟いた。

「なあ、なつき。うち、あんたに何するか解らんのよ。今かてそうや」

雨の雫に濡れながら、静留は冷たいような笑みを零して視線を落とし、言葉を続ける。

「‥‥前もな、あんた寝てはったとき、キスしようとしたんよ。あんたが嫌がっても他のこともしてたかも知れへん」
「───」
「ほんまに、ほんまに堪忍な」

返す言葉が見つからず、なつきはなつきから肅然と視線を逸らす静留の顔を見つめた。静留はなつきと視線を合わせると、ほとんど優しく見えるほど悲しい目をして微笑んだ。

「あんたの好きとうちの好きとはやっぱり違うんどす」

ああ違う。違う違う違うそうじゃなくて──

「せやから手ぇ離してくれる?」

細かな霧の雨のように静かに、静留は終わりにしたいと告げてくる。

「なあ、離して」
「悪いのは私だ! おまえのせいじゃ‥」

私は静留の気持ちを知っていて。だからそれは未必のことで。
浮かんだ薄っぺらな言い訳の無意味さになつきは口を噤んだ。
卑怯だ。
それでも腕は離せなかった。
俯いた静留が、濡れた前髪の下で長い長い溜め息を落とし、暫くしてふと微笑みを零した。薄茶の髪に閉ざされて瞳は見えない。

「うちのせいやない?」
「そうだ。私が‥‥!」

ぐい、と急に右腕を掴み返された。
引き寄せられた肩。胸元に柔らかい圧迫。
苦しそうに眉を寄せ睫を伏せかけた赤い瞳が、目を見開いたなつきの視界にぼやけた。雫混じりの前髪が混ざる。頬に触れた冷たい鼻先。押し当てられた雨に濡れた唇。
なつきは思わず左手に持っていた袋を取り落とした。

驚いて僅かに開いた口を覆う唇が、刹那冷たいと感じたのに、吐息を飲み込んだそれは今は熱い。下唇を幾度か何かを求めるように深く食まれ、その柔らかく強い肉感的な温度に息が詰まった。
思わずなつきが口を閉じかけた時、静留の唇が離れた。抗う間もなく静留の手になつきは身体を押し返された。

「──っ」

なつきは思わず右手を口許にやると自分の掌を見つめた。背から胸から血が昇る。破裂したのではないかと思うほど鼓動が強い。聞こえたのは、いつもよりも少し低い、穏やかと言うには濡れたように冷たい、独り言のような静留の声。

「な。今かて出来るんよ?」

火照った頬のままなつきが静留に視線をやると、降りしきる雨の中、寒気がするほど綺麗に静留は微笑んだ。

「あんたの気持ちなんぞなあんも考えんと」

静留は顔色ひとつ変えず、僅かに目を細めて静謐な表情でなつきを見据えている。赤みがかったその瞳に浮かんだ拒絶になつきは知らず気圧された。こんな目で静留に見られたことは今までない。

「うち、何するか解らんえ? せやからもう、うちにあんた傷付けさせんといてくれる?」

しんと静かな声音。ひとつも笑っていないその凄絶な微かな笑みになつきは言葉を失った。静留はなつきが落としたコンビニの袋に視線をやると僅かに哀れむような顔をする。

「堪忍な。駄目にしてしもた」

そう呟くと、静留はなつきに背を向けた。

「はよ帰りよし。濡れますえ」

背中越しの言葉は、刃を隠したような威圧されるほど拒絶を含んだ声音だった。竦んだように動けない。静留の態度と本気で拒まれていることに動揺して何か思考が飽和している。

「──静、留‥‥」

呼び掛けに振り返らない、こんな時でもすらりと背の伸びた綺麗な後ろ姿がなつきの瞳に映った。



雨足は更に強くなり、なつきの髪を濡らしてゆく。静留の立ち去った後の敷石も、今は全てが雨に濡れて街灯の光を反射している。髪を伝う雨は額に頬に冷たい。

なぜ追わない

思わず右手を握りしめる。そのまま静留を追いたい衝動を押さえて、なつきは眉を顰めて強く息を吐いた。雨に白く霞む。

追い掛けて、それで何が言える。

頭の中がぐちゃぐちゃだった。今起きたことを認めたくないと、急速に思考が閉じたがって、考えることを放棄したがっている。眠りたい。

ふざけるな。ちゃんと私の答えを出せ。
これ以上あいつを苦しめてどうするつもりだ。

なつきは俯いて歯を食い縛った。焼け付くように胸が痛む。痺れて虚しい。

静留のためならそれでいい? 静留が望むなら?
それはただの責任転嫁だ。

どんなに自分が卑怯だったか知っている。
苦いものを噛んだように眉を寄せて、なつきは暗い足元を見つめた。

──ふと何かの弾みで。
たとえば、幸せそうな寝顔だとか。
少し意外な仕草とか。
何の変哲もない会話の途中で不意に見せてくれる笑顔だったりとか。
やたらと静留が可愛かったり綺麗に見えたりする。
触れたらいけないような気がして、息を詰めて、ただ見つめていたくなる。
でも触れてみたい、とか、物足りないとか。息苦しい。
本当に、本当に稀に静留が見せる、さっきみたいに淋しそうな怯えたような姿に、無理矢理でもいいから、ふと腕を伸ばして抱き締めたくなる。
何故か、必死になって隠した。

マンションの敷地の敷石には薄らと水の膜が張り、映った街灯が雨に微かに揺れている。髪から染みた雨が、視線を落としたなつきの額に頬に一筋二筋伝った。

本当は。
抱き締めてみたかったのは、キスしてみたかったのは
もっと間近でもっと深く静留に触れてみたかったのは自分の方で。
さっきも、静留のためとかではなかったのかも知れない。

──やっぱり私はおまえの望むような気持ちは持てない

隠した理由は簡単だった。認められないからだ。
抱いた想いは、手を繋ぐとかとは、明確に意味が違う。
これは変だ。おかしい。不自然だ。
同時にそう否定している自分に気付いてしまった。

降り落ちる雨の下、なつきは落ち掛かった濡れた髪を掻き揚げた。どこか無力な右手が、ぐしゃりと髪を掴む。

気付いた時には戸惑った。
人が同性を好きになることは認めてられても、いざ自分がそういう想いを抱いていると気付いたら気持ちは少し別物だった。
静留の気持ちは嬉しくても、自分の想いは素直に認められない。やっぱりこれは不自然ではないのかと、どこか後ろめたいような思いに捕われて、自分の抱いた気持ちが自分の中で割り切れない。

結局、本当には受け入れていなかったことになるんだろうか。
そう考えたら酷く裏切ったような気がした。
知られたら何かが終わってしまうようで怖かった。
静留の気持ちまで否定しているみたいで、罪悪感に駆られて、それでもわだかまりは消えない。心が自由にならない。

髪を掴んだまま、なつきは眉を顰めた。喚きたいほど息苦しいのは胸が痛むからか、それとも自分に腹が立っているからなのか。苦しくて口を閉じていられずに、はぁ、とついた息が白く霞んで散ってゆく。落ちた視線の先、雨に濡れる地面には街灯の虚像が瞬いている。

抱いたのはあの祭の時に静留が見せたような苛烈な想いではなかった。

うちは、あんたを愛してます。

だからだろうか。その言葉は自分で口にするには何かとても遠かった。
好きと恋と愛との違いすらよく解らない。
自分で否定しているのに、流されてしまえばよかったのか。
こんなに考えても答えが出ないのは、割り切れないのは、この気持ちは、静留に応えたかった錯覚だからではないのか。
そんなことまで考えた。

目に映る景色が滲みかける。顔に受けた雨の雫が唇に消える。なつきは濡れた右手で口許に触れた。あんなに淋しいキスだったのに、その感触を思い出すと、苦しいのに、どうにも鼓動が早くなる。
なつきは右手を見つめるとゆっくり握り締め、ひとつ長い息を吐いた。
そのまま拳を額にあてて俯く。

馬鹿だ。
振り向けばいつも側にいてくれるから気づかなかっただけだ。
静留が笑ってくれるから、割り切れない自分の気持ちから目を逸らしていられただけ。でなければ、なんで今こんなに苦しい。こんなに辛い。

  ──うち、待っとってええんやろか?

「‥‥‥っ」

何故涙が出る。傷付いたのは静留で、私じゃない。
でも、静留は待っていてくれたのに。
割り切れないのは、静留を好きなことではなくて。
不自然だと考える自分で。静留は何ひとつ悪くない。
なのに傷付けて。

割り切れなかろうとなんだろうと抱いた想いは変わらない。
誰かのために好きになった訳ではなかった。
だからそんなことに本当は意味はなかった。

なつきの腕が肩から力が抜けたように落ちた。
竦むほど本気で拒否された。あんなにきっぱりと自分を拒絶する静留を見たことがない。今度こそ本当に愛想を尽かされた。

「‥‥馬鹿‥だ‥‥」

落ちた視線の先に、雨塗れになっているコンビニの袋が落ちている。
もう中も濡れてしまっているだろう。
なつきはのろのろとそれを拾い上げた。白いビニールの上をびしゃりと水が移動する。

  堪忍な。駄目にしてしもた

駄目にしたのは私の方だ。

思い出した静留の呟くような声に、なつきは手にしたずぶ濡れの白い袋を見つめた。ふと、昔静留が言っていた無茶な言葉を思い出し、淋しくなって笑ってしまった。落としたくらいでは駄目にはならなかったのに。

「‥‥‥」

もしかして──

思わず気の抜けたような声が漏れた。なんだか急に胸が焼けた。静留はいつも本音を言わない。大事なことは素直に話してくれない。ぐい、と目許の雨を拭ってなつきは顔を上げた。

「‥‥おまえ、厄介すぎるぞ‥」

違うかもしれない。けれど、駄目にしたくないと、そう言っていたのだと信じたい。
これが恋かは知らない。愛なんて解らない。そんなことはどうでもいい。
後付けの理屈も理由も名前ももういらない。

  な。今かて出来るんよ? あんたの気持ちなんぞなあんも考えんと。

嘘だ。あんなに苦しそうな顔をしていた癖に。

  うち、何するか解らんえ?

私より縛られている癖に。

  せやからもう、うちにあんた傷付けさせんといてくれる?

傷付いたのはおまえの方だ。

  堪忍な。駄目にしてしもた

悪いが駄目になどさせない。

  はよ帰りよし。濡れますえ

「‥‥なら、追い掛けなければな」

自分の抱いた想いなら自分の名において心のままに求めればいい。
あの時のように真直ぐに。自分自身のすべてを賭けて。

もう、迷わない。



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