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二月初旬の冬の日溜まりの中、教室の窓際の席で、なつきは欠伸を噛み殺した。お経でも唱えているような男性教員の声が退屈で仕方がない。
寝付けずに静留が置いていった日本酒を少し飲んでみたのだが、返って眠りが浅かったような気がする。最近どうもよく眠れない。

「‥‥の物語は実際に起きた事件を元に書かれており‥‥」

実家の方から、京都にある蔵元の良い酒が何本か送られてきたとかで、暫く前から静留が作ってくれる夕飯には時々酒がつく。どんな親だとなつきは呆れたが、どうやら静留に酒の飲み方を教えたのは父親らしい。
まあ、晩酌といっても静留が美味しそうに飲むので、ひとりで飲むのは詰まらない、と勧められてちょっと付き合う程度なのだが。

静留の料理と一緒に飲むと美味しいような気もしたが、日本酒だけ飲んでみても喉が熱いばかりで美味しいとは思わなかった。ひとりで飲んだらあかんえ?と釘をさされていたのが引っ掛かっていたせいかも知れない。確かに、ひとりで飲んでも詰まらなかった。

「‥‥時の世相を反映して、まぁ庶民の間で絶大な人気を博すことになります。えー、1720年には‥‥」

板書を写す気もないまま広げたノートの端に、意味のない線を何となく引いていた手を止め、なつきは右手のシャーペンをくるりと指で回した。
小さく溜め息を吐きながら左手で頬杖をついて窓の外に視線を投げる。

「‥‥‥」

静留は大学の試験期間だという話で、食事を作りに来てもらうのも悪いような気がするのだが、相変わらず、好きでやっているだけだからと笑ってくれる。息抜きがしたいとやんわり言われると、そもそも嬉しいし断れない。

それにしても、何故あいつは飲んでも赤くならないんだ?

ふと連想した静留の姿に、なつきは疑問とも少しの羨望ともいえないことを考えた。
なつきは飲むとすぐに真っ赤になる。体質だと静留は言うが、なんとなく悔しい。本当は赤くなる方がよいらしいが、その方が可愛くていいと静留に言われたのがまた何か不本意だったりする。すぐに酔いが回ってしまうので量も飲めない。付き合えと誘う癖に、無理をして飲むものではないと静留にも言われている。
一方、静留はと言えば、なつきの倍は優に飲んでいるのだが、全然酔わないようだった。あれだけ色が白いのに顔色も殆ど変わらない。本当のほんの僅かに薄桃色に頬が染まり、瞳の赤みが普段よりも増して、少し目が潤んでくるくらいだ。

「‥‥‥‥」

ああでも、それならあの雪の日の方がよっぽど‥‥

カシャン、と無意識に指先で回していたシャーペンを取り落とし、なつきはぴくりと小さく肩を震わせ、教室に響いた音にか、拳を口許に宛てがって喉の奥で軽く咳いた。

「‥‥人々の間で心中が流行るという、そういう事態にまあ発展して‥‥」

相変わらず経を読むような教師の声は続いている。
耳に入ってきた言葉になつきは視線を険しくした。

流行りすたりじゃないだろうに。

まあ事情は個々にあるのだろうから解らない。
他人が軽々しく口を出すことでもない。

「‥‥‥」

それしかないと解っていた。
後悔はしていない。同じ情況になればきっと同じことをする。
共に消えると知っていた。それで構わなかったし、止められて満足だった。

  ──だから。
  デュラン! ロード・シルバーカートリッジ!

「‥‥‥」

でも、静留の命を奪ったことには変わりがない。
そんな単純なことを今更のように思う。

ひとつ息を吐きながら頬杖をつき直すと、なつきは苦いような表情で考え込むように外を眺めた。



「──つきってば」
「うわっ‥?!」
「ななにっ?!」
「‥‥え?」
「‥‥く、玖我さん、だいじょうぶ?」

いつの間に授業が終わったのか、なつきが振り向くと、舞衣とあかねが何やら胸に抱えてびっくりした顔でなつきの机の横に立っていた。そういえば何となくチャイムの音は聞こえたような気がする。
教室の他のクラスメートの視線をびっしり浴びて、三人は周囲を考慮してこそこそと声を潜めた。

「もう、目開けたまま寝ないでよ」
「あ、いや、すまない」
「ちょっとびっくりしちゃった」
「どうかしたの?」
「いや‥‥。で、なんだ?」
「あ、これなんだけどー」

あかねと舞衣が差し出したのは大きな箱に入った、パッケージから見ると海外製のお菓子の類いの詰め合わせだった。

「どうしたんだこれ」
「碧ちゃんからお裾分け。なんか教授から貰ったんだけど多すぎて困るって」
「リンデンバウムに置いておいたんだけど、なかなか減らないから」

ふーん、と箱を覗きながらなつきは呟く。

「命にやれば一遍で片付くんじゃないか?」
「あのね。こんなに甘い物ばっかり一度に食べさせられる訳ないでしょ」
「玖我さんも好きなの選んで持っていって?」

そうは言ってもなあ、と思った矢先、薄い褐色の綺麗なカップの写真が印刷されたパッケージが目に止まった。

ああ、これならバイクで走った後、暖まっていい。

インスタントのホットチョコレートのパッケージをひとつ選ぶと、他の物も勧めるあかねに礼を言い、なつきはそれを机に仕舞った。



ふと手を伸ばせば、届きそうな気がすることがある。

曇り空の冬の午後、カーテンを開け放ち、曇ったガラスを掌で少し拭って、冷たいだろうに左手を窓枠に掛けて外を眺めている後ろ姿。
艶やかな素直な黒髪が流れ落ちる肩は、窓からの冷気のせいか少し寒そうで。
だからだろうか。
誰かを待っているように見える。

なに見てはるん?
お茶冷めますえ?

そんな言葉じゃなくて。

また夜更かししてはるん?
お買いもん付き合うてくれへん?

そんな会話じゃなくて。

このまま後ろから抱き締めて耳元で名を囁いてこの手の中で溶かしたい。
寒い静かな午後だから、少しじゃれあって睦み合って。それだけでいい。
随分とささやかなことを望む自分に苦笑する。
無性に淋しくなって密かに溜め息をついた。
物思いを打ち切って、窓際に並んでガラスの曇りをキュキュキュと指先で拭って外を眺める。後で窓拭きだ。

「なんぞええもんでも見えはります?」
「え‥‥?」
「んー、なんも変わったもん見えんようやけど」

暫く外を眺め、隣のなつきに振り向いて笑い掛けたら、すいと視線を外された。なつきはしなやかに身を返して台所の方へ向かおうとする。優しいようなどこか静かな声がした。

「コーヒー飲むか?」
「せやね、うち淹れますわ」
「いや、いい」

あかん。物欲しそうな顔でもしとったんやろか。

それでも流石に露骨に視線を逸らされては少々きつい。
届きそうなのではなくて、届かせたいだけか。
息がひとつ零れるほどには、少し胸が焼ける。掌が痺れていた。
拭ったガラスの上に、また薄らと曇りがついた。


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