13
ゆっくりとしたキスをして、抱き合ったまま静留がなつきの肩口に顔を預けていると、耳元でなつきの声がした。
「‥‥なあ、静留」
「‥ん?」
「あの時、引き金を引いたのは私だ」
「え?」
「静留は、なんだその‥私がおまえを大切だと思っていたことを嬉しいと思ってくれたんだろう?」
なつきが何の話をしているのかが解って、少し身体を離すと静留は真面目な顔でなつきを見返した。元々は自分が振ってしまった話題だが、あまり思い出して欲しい姿ではない。
「それはそうやけど。けどあれはうちが‥」
「あの日の前に私が大切なのは静留だと言ってたらどうだったろうな」
なつきを見つめて静留は少し考え込んだ。祭の刻限の前に?
「‥‥そら‥嬉しい、やろなぁ‥」
「だからそれは別のことだ。私を犠牲にしたみたいに言うな」
「せやけど」
「別の話だ」
なつきは微かに首を傾げて微笑んだ。
「私は後悔していないし、あの時はあれしか道はなかったと思っている」
「‥‥‥」
「おまえを道連れにしたのは悪かっ‥‥」
静留の人さし指に口許を抑えられてなつきは黙った。
「うち、あん時ほんまに嬉しかったんよ」
なつきの瞳を見詰めながら、愛おしそうに笑って静留は言葉を続ける。
「せやから道連れとか引き金引いたとか言わんといて?」
「うん‥‥」
互いに視線を落とす。こんな話をしたことは一度もなかった。
暫くの間、微妙な沈黙が落ちた。
ああそうか、というなつきの声に静留が視線を上げると、なつきは何かに納得したように目を瞑って綺麗に笑って俯いた。
「それであんなに満足していたんだ私は」
なつきはそれこそ何か満足そうに小さく笑っている。
「一緒にいようって覚悟だったんだな、あれも」
「───」
「どうした?」
「‥‥ん、なんも」
あれも、て。
なつきに笑いかけて静留は軽いキスをしようと顔を寄せた。
ぐぅぅ‥‥
「‥‥‥」
「‥‥ふ」
「仕方ないだろうっ!」
「堪忍。うちのせいやね。うっかりしてましたわ。食べられます?」
言いながら静留はなつきの身体を離して座り直した。もう午後もかなり回っている。食欲は感じないが考えてみれば自分も昨日から何も口にしていない。
「うん‥‥ああ、でもいい」
「お腹空いてはるんやろ?」
「飯は後で何か買ってくる」
「無理したらあきません」
「お茶にしないか。取り合えず」
「まぁ、取り合えずやったら‥‥ほなコーヒーでええん?」
「いや‥疲れてるみたいだし悪いんだが‥‥静留のお茶が飲みたい」
「──ええよ」
こんなに幸せな気分でお茶を所望されたことは未だかつてなかった。
何となく離れ難くて、なつきの髪にひとつキスを落としてから静留は台所に向かった。
茶の支度をしながら何か摘むものをと考えてふと思い出した。
冷蔵庫から、渡しそびれていたチョコレートの箱を取り出す。自分で食べる気にもなれず仕舞い込んでいた。他の買い置きも切らしているのに思い当たって包みを解いた。箱を開けて取り出すと包装紙越しにもチョコレートは冷え切って指先に冷たい。
「‥‥‥」
取り合わせも少しなんだし、病み上がりの胃には良くないだろうかと静留は少し迷って、結局茶に添えた。
こんな風に冷たく閉じ込めておかなくても、もういい。
それだけのことが信じ難いほど幸せで、少し笑ってしまうと景色が滲んだ。
ありがとう、と静留の淹れたお茶を美味しそうに飲みながら、なつきは思い出したように切り出した。
「ああ、そうだ静留。ドカティのシート、硬くないか?」
「え?」
「いや、昨日たまたまドカ屋に会ってな。純正じゃないんだが、シートでもう少しクッションのいいパーツが入ったらしくて」
聞けばドカティの生まれ故郷のあるヨーロッパでは、タンデムでの高速ツーリストも多く、乗り心地のいいカスタムパーツを作るメーカーもあるのだという。
「せやなぁ‥‥。うちはあのシートが好きどすけど」
「そうか?」
「ええ」
「なら別に構わないんだが」
そう言ってなつきはお茶請けのチョコレートに手を伸ばして、ふと黙り込んだ。そのまま手に持ってちらりと静留を見ている。
「‥‥‥」
「どないしはったん?」
「‥‥別に」
なつきは何か詰まらなそうな顔をしている。静留は堪え切れずに少し笑った。
「堪忍な、遅うなってしもて」
「な、私は別に何も」
「チョコレート欲しかったん?」
だから別に、と言いかけて、なつきは観念したように、うん、と苦笑した。
「‥‥さて。一服したら何か買って来るからな。静留は何がいい?」
「うちが行くさかい、ゆっくりしはったらええやん」
「いや、バイクも取りに行かなきゃならないし」
「どこかに置いてきはったん?」
ふらついたので途中で駐輪してきたのだとなつきはいう。危ないことをするなと苦言するとだから置いてきたんだろうがと膨れられた。言い合っているうちに、以前と何も変わらないような会話が可笑しくて、思わず静留は笑ってしまった。なつきも釣られて笑ったようだった。
そうだな、と呟いて、なつきはその意志の強さを思わせる綺麗な瞳で真直ぐに静留の目を見た。
「一緒に行こうか」
自分を呼んでいるなつきの声に静留は深く目を閉じて微笑んだ。
返事など、桜の花が咲く頃、初めてなつきを見つけた時から、もうとうに決まっていた。
(了)
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