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12

肩に何か。ふと気がついた。
驚いて見上げると少し怒ったような表情で浴衣姿のなつきが立っていた。

「‥‥‥」
「ああ、起こしてしまったか」

すまない、と言ってなつきはそのままソファーに腰掛けた。
うとうとしてしまったらしい。言葉が見つからずに静留は黙ってなつきの方を見つめた。少し体調が良くなったのか、なつきは随分落ち着いた様子だった。その薄着に気付いて声を掛けた。

「ベッドに戻りよし」
「話しに来たんだ」

浴衣一枚では寒いのだろう、なつきは毛布の端を手前に引き寄せた。条件反射のように自分の肩に掛かっていた毛布をなつきの方に掛け直して、静留は横座りになっていた身体を前に向けた。

「堪忍な。濡れとったさかい」
「え?」

前を向いた静留は膝に手を置き、そのまま少し自嘲するように僅かに薄く微笑んで言葉を続けた。こんなことを言いたいんじゃない。でもこんな言葉しか出て来ない。

「安心しぃ。なんもしてへん──」
「聞いてない」

少し強い口調で言葉を遮られた。

「──ありがとう」

心がそのままあるような、なつきの声。
この声を聞きたかっただけなのかも知れない。
静留は一度睫を伏せた。
気を取り直すように息を吸って、前を向いたまま努めて淡々と話し出す。

「気分はどうどす?」
「ああ。すまない。大丈夫だ」
「動けるようなら車呼びますさかい」
「え‥‥」
「なんなら寮の方行かはります?」
「おい待て」
「しんどいようやったら病院寄らはった方がええ思いますえ」

言いながら静留はソファーから腰を上げた。

「話があると言ったろう!」

がくんと右腕を引かれた。昨日の記憶が過って苦しくなる。なつきの手に力が籠った気がした。

「おまえが好きだ」

おと。
声。
意味。

断面を繋いだように不自然に時が流れ出す。
ある程度予期していたはずなのに胸が焼け付いた。
鼓動が痛い。酷く苦しい。
ふ、と笑ったように籠った熱を吐き出して、なつきに右腕を取られたまま静留は軽く俯いた。

「‥‥なぁ‥うち止めてくれはった時、覚えてはる?」
「──ああ」

なつきにそっと腕を引かれた。思わず視線をやると、話が飛んだのにも関わらず、ちゃんと聞くから、とでも言うように、僅かに首を傾げて、生真面目な表情でなつきは静留を見上げている。静留は促されてソファーに腰掛け直した。
どこか、保護された迷子の子供のように所在ない気分で前を向いた。泣きたいのは何故だろう。

「‥‥最後に、消える時にな。あん時、うち、ただ、嬉しい思てましてん」
「‥うん」
「あんたがうちのこと大事に思てくれはって、一緒に消えられるんがほんまに、ほんまに幸せで。それで本望やった」

笑い含みの息を吐くと、スカートの上で手を握り締め、静留は少し俯いた。

「でも、あんたは? うち、あん時、あんたの幸せのことなぁんも考えてなかったんよ。あんたに悪い思う前に幸せや思ってた」
「それとこれと‥‥」
「今度は何無くさはるん? うち、あんたから何を奪うんやろ」

俯いたまま苦しくて一度息を吐き、静留はなつきに視線を向けた。

「ほんま、いくら優しいゆうても程がありますえ? 無理せんでええんよ」
「無理って」

いつものように笑い掛けると、見つめた先のなつきは泣きそうな顔で眉間に皺を寄せた。そんな顔をして欲しくはないのに。でも間違えられない。

「同情して欲しないんどす」
「誰が──!」
「‥‥嘘や‥そんでも構しません‥‥せやから駄目なんどす」
「おまえ言っていることが滅茶苦茶だぞ!」
「せやろか。あんたはうちを傷付けられへんだけや」
「おまえは‥‥!」

ぎりと音がしそうなほど激しくなつきに睨み付けられた。こんな風に感情を露にして真直ぐ見てくれるのは何時以来だろう。

「一体私をなんだと思っている!」
「なにて」
「ふざけるな!」

なつきの身体から毛布が落ちる。静留はいきなりなつきに両肩を掴まれ上半身を引かれた。真正面からなつきの怒気を孕んだ瞳に睨み返される。真直ぐな心そのままのような清冽な視線。

「なんもふざけたりしてません。昨日の今日答えられへんかったのに、いきなり好きやて。同情やないいう方が解らんだけどす」

至近に迫ったなつきの顔から目を逸らしたくなる。苦しくなって静留は笑ったまま顔を顰めた。

「いきなりじゃない」
「そうどすか? えらい急な話に聞こえますえ」
「急なんかじゃない!」
「なぁ、ほんまに無理」
「誰が無理だ!」
「せやから」

肩を掴んでいるなつきの両手に痛むほど強く力が籠った。

「静留っ!」
「せやったら‥‥!」

釣られて語気荒く言い掛けた直截な言葉に眉を顰めて、静留はなつきの視線を避けるように俯いた。
迷ったような瞳。俯いて苦しそうだった姿。答えてくれなかった。
酷く傷付けたのにまた無理矢理口付けた。
果てしのない鈍痛のような後悔と、気が狂れそうな永い夜。
思えば何もかもが取り返しがつかず愚かで、ただ辛く、零れた声は自分でも驚くほど覚束ない。

「‥‥なぁ、なんで‥?」

縋るような面持ちで静留は顔を上げた。泣きそうな思いで答を求めてなつきを見つめた目は、すまいと思っても詰るような色を帯びてしまっていた。

「なんで昨日」

今更になって、と自分を嗤う。
なつきに答を求めても仕方がないのに。
昨日は答えてくれなかった。
ぼろぼろになってまで逢いに来てくれた。
抱き締めてくれた。好きだと、言ってくれた。でも優し過ぎて。
また自分のことだけに目が眩んでいないのか。
今度こそなつきの幸せを考えているのか。
なつきは今度は何を無くす何を奪う傷付けたくない有り得ない解らない。
答の出ない息苦しさと真直ぐな視線に負けて目を逸らす。
信じたい。信じたい。信じたいのに。

「‥‥信じられへん‥‥」

じっとこちらを見つめながら困ったような顔をしていたなつきに髪を梳かれ、顔を近付けられて静留は俯きがちに顔を背けた。

違う。結局はまた自分のことだ。
好きだから。同情では嫌で。信じるのが怖い。
傷付けるのを恐れて失う痛みに怯えて身動きが取れない。

「‥‥私を救ってくれたのはおまえなのにな」

独り言のような淋しい声に、静留は顔を上げた。
目の前のなつきは怒って泣いているような表情で、見据える視線は厳しかった。刃物のような真直ぐで苛立った、息を飲むほど孤独な目。
意地を張ったようにひとりで遠くを見ていた頃のなつきの目によく似た、もっと悲しい色。その瞳が怖いほど他人のようで言葉を無くす。
問い返すことも逃げることも許さない強い視線を不意に逸らされる。
無視するように物も言わずに睫を伏せて、すと寄せられたなつきの唇は微かに震えていた。
触れ合ったなつきの唇が唇越しに歯にぶつかった。けれどそれより心が痛かった。逃れるには信じたい。受け入れるには優し過ぎる。応えるのを待つようなキスにただ蹂躙される。堪らずに涙が滲んだ視線を落とす。
牙を持った獣が不馴れに甘噛みするようなキスだった。怒ったような視線とは裏腹にぎこちなくて不器用で懸命に優しい。息苦しい。急速に速まる鼓動が吐息が胸が熱い。唇に舌が滑るのを感じて背筋が粟立つ。思わず避けようともがくと焦れたように頭を引き寄せられた。息が出来ず喘ぎ半端に開いた歯列の間に舌が触れる。知らず傷付けまいと口が開いた。舌が絡んでくるのを感じて、信じられないような思いでいると、ぐい、と身体を離された。

どちらともなく軽く息を整えるような間が落ちる。
気持ちの重さに静留は俯きがちに視線だけでなつきを見た。なつきは口許を拭い、羞恥からか頬を染めてはいるが、微塵も照れた様子はなく、微かに眉を顰め、口許を引き結んだ傷付いたような横顔だった。

「‥‥同情でこんなことができるほど、私は器用じゃない」

真直ぐに静留を見据え直したなつきの声は、激昂するでもなく静かで痛むほど淋しい。

「信じるのも信じないのも決めるのは静留だろう?」

言ってなつきは顔を背けた。このまま二度とこちらを見てくれないようで、それが先程のキスより胸に詰まる。

「なつ‥‥なぁ、なつき‥?」

誰よりなつきが傷付いている気がして考えるより先に静留は名前を呼んでいた。 声に振り向いて、暫く静留を見つめると、なつきは視線を落としてとても嬉しそうに優し気に小さく笑んだ。すっと顔を上げた瞳の力強さに、堪忍と続けるはずの言葉は結局言えなかった。なつきは、ふぅ、と息を吐くと、少し不敵な目をして前を向き、先程とは違って穏やかに話し出した。

「──本当は、こういうのは変だと思ってた」
「え?」
「静留がどうこう言うのじゃなくて。でも自分では女同士だし不自然だって。だから言えなくてな」

なつきはさっぱりしたような顔で静留の方を向いた。困惑したまま静留はなつきの顔を見つめ返した。

「やっぱりそんな顔をする。だから言いたくなかったんだ」
「そやかて‥‥」
「でももう関係ない。私は選んだから」

きっぱりと言い切られた強い自負を感じさせる言葉にドクンと心臓が跳ねた。
先を見るように前を向いてなつきは言葉を続けている。

「今は信じてくれなくても構わないさ」
「‥‥」

‥‥せやね

不敵にも見えるのに素直な瞳に微かに笑い掛けられる。

「悪いが私は諦めないからな」

そうやね‥‥

どうして忘れていたのだろう。
なつきは真直ぐで、大事な時に嘘をついたりしない。

静留は一度俯いて小さく息を吐いた。このまま返事をしないでいたら、二度と聞けそうもない目眩がするような言葉が延々聞けるかも知れないなどと現金なことをチラリと考える。でもそれはちょっと心臓が持ちそうにない。今だってかなりきつい。

「──なつき」
「え?」
「ほんまに?」

ついと右手でなつきの髪を梳く。
なつきを覗き込むように、目を細めて綺麗に笑った静留と視線が合うと、何かのスイッチが切れたのか、なつきは一瞬きょとんとし、そっぽを向いて今更のように赤くなった。

「‥‥な、なんだ急に‥‥」
「ほんまに諦めへん?」
「あ、ああ」
「‥‥嬉しい」

静留の態度の変化が納得いかないのか、妙にぎくしゃくしたなつきに笑いつつ、らしくもなく自分も内心動揺しながら静留はソファーの下に落ちた毛布を拾い上げた。なつきの背中に掛け直し、ついでにちょっと近くに座り直して自分も毛布に包まった。

「ちょ、静‥?」
「ええやん寒いし?」

触れていないと夢でも見ているようで、なつきの左肩に自分の肩を預ける。少し涙目になった顔は見えないように、左手で掴んだ毛布の端で隠す。寒いというより熱が出そうだ。ぬくぬく一枚の毛布に包まって、いまだ硬直したような隣のなつきにふと笑う。暖か過ぎて切なくなる。
抱き締めてもいいだろうか、もうそれを許されたんだろうかとくすぐったいのに泣きたくなるような幸せな戸惑いを覚える。
と、ぎこちなくなつきに右手をぎゅっと握られた。
咄嗟に言葉が出ずにちらと横目でなつきを見ると、なつきは居心地悪そうに正面を睨んで頬を染めている。手を握り返すと、なつきは表情を緩めて少し俯いた。

「‥‥身体は平気なん?」
「ああ。もう熱もないし」
「‥‥堪忍な」
「私こそ世話を掛けた」

言葉に安心して、静留がゆっくり右手を開いて指を絡め、手をきゅっと握り直すと、隣のなつきの方から笑ったような吐息が聞こえた。

「‥‥なんだか‥馬鹿みたいだ‥」
「せやね‥‥」
「‥‥まったく。おまえは言っても全然聞かないし」
「なつきかて言うてくれはらへんし」
「言えるかっ!」
「そうなん?」
「本当にどうしようかと思ったんだぞ!」
「せやなぁ。うちもどないしよか思いましたわ。なつきえらい大胆やし」
「だい‥うううるさい言うな喋るな口に出すなっ!」

返事の代わりに、静留はなつきの右肩に掛かっている毛布を左手で掛け直した。膨れて顔を背けているなつきの姿に、傷付いたようななつきの横顔が過る。

「‥‥なぁ、なつき」
「なんだっ」
「キスしてええ?」
「な、そ、そんなこと聞くなっ!」
「ほないつキスしてもええのん?」
「なんでそうなる!」

真っ赤になって文句を言うなつきに、静留が笑って視線を落とすと、暫くして指を絡めていたなつきの左手に力が籠った。静留が目を上げると、微かに優しいような真剣な眼差しにぶつかった。

「‥‥ほんまに堪忍」
「謝るな馬鹿」

傷付けあうようなキスではなく、今度こそ気持ちの通じ合ったキスを、鼓動とは裏腹にゆっくり交わす。何となく戸惑いながらそっと抱き締めたなつきの温もりは浴衣越しにも暖かで熱い。
温度のない月光ではなく、確かな熱を放つ、夜を終わらせてくれる陽の光。
抱き締め返してくれた腕に、気が遠くなるほど満たされる。


もう、あの淋しい月の夢は二度と見ない。


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