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限り無く親しい諦念と
儚いような願望と
触れてはならない月の夢
飢えて餓えて渇望し
心を嬲られ蹂躙される

草原を渡る風のように 身体を擦り抜け過ぎてゆく
腕の中に残るのは 幻のような体温の残滓

はにかんだような優しさの軛に縛られて
この穏やかな日常を愛おしみ続くことを心から望みながら
ただ苦しくて恋しくて どこかで終わりを切願している


また、月の夢に泣いた夜が明ける。






「すまない、待たせた」

鍵を開ける音に被った慌てたような声。
内側から開かれた扉。
頬に感じたのは微かに熱を帯びた湿った空気。
いきなり目に飛び込んできた剥き出しの白い肌。細い首筋から続く際立った鎖骨。柔らかく湿度を孕んだ香るような肌理の細かい白い肩や二の腕は黒いキャミソールと鮮やかにコントラストを描き、ほんのり薄赤く上気している。
頭から被ったタオルから水滴の滴る髪を溢れさせ、なつきは申し訳なさそうな顔をする。微かに潤んだ瞳。目の縁も瑞々しい頬も火照ったように少し赤い。

「───。」
「寒いから上がっててくれ」
「‥‥ええ」

なつきはそのままタオルで髪を押さえながらパタパタと部屋へ戻ってゆく。
静留は生返事をしたまま、なつきの腕と肩の肌の白さから目を離せずに見送った。

‥‥かなん‥なぁ‥‥驚いてしもた‥‥

静留は片手で胸を押さえて、一度喉の奥で唾を嚥下して呆としたような息を吐いた。
夏場なら兎も角、一月の半ば、この冬の最中にはあまり見掛けないなつきの姿に、なんの心の準備もしていなかったので少し、いやかなり動揺してしまった。こうなるともう、眼福なのか目の毒なのか解らない。着替えるのを手伝おうかと冗談も出なかった。
思い出してしまったなつきの眩しいように白い綺麗な胸元を、小さく頭を振って振り払う。無防備でいてくれるのは嬉しいが、少々心臓に悪い。
なつきがいないのをいいことに、静留は一度深く目を閉じると、はあ、と苦しいような溜め息を吐き、気を取り直してブーツを脱いだ。


リビングはこざっぱりと片付いていた。
徹底的に掃除、というのではなく、手慣れた風に、取り合えずといった感じで物がきちんと纏めてある。なつきが片付けたとも思えない。静留は一旦荷物をソファーに置いてコートを脱いだ。

食材の入ったスーパーの袋を持って台所へ向かうと、流しには種類の違うカップ麺の容器がひとつずつ、割り箸が二膳転がっていた。それ以外は洗い物もきちんと済んでいる。流しも綺麗だ。洗い物は食器の置き場が解らなかったのか、適当な場所にしまうのを遠慮したのか、水切り籠の中にコーヒーカップや皿が伏せたままになっていた。

「‥‥‥」

スーパーの袋を流し台に置き、静留は流しの割り箸を可燃物のゴミ箱に捨てた。カップ麺の容器をざっと洗い、不燃物のゴミ箱に捨てる。ゴミ箱の横に、入り切らなくなったのか、一杯になったゴミが袋に纏めてあった。きちんと分別されている。
ひとつ息を零し、視線を落としたまま静留は薄く微笑んだ。

──ええことやないの。

今日は来る時間が遅かったし、片付いていて助かる。
気遣いも手際も家事に慣れている。誰が来たのか見当はついていた。



「静留、悪い」

濡れた髪のまま、黒いセーターの上からバスタオルを羽織ったなつきは流し台の前に立っている静留に声を掛けた。場所を譲ってもらい水切り籠からコップを取ると水を汲み、勢い良く飲み干す。シャワー上がりの喉に美味しかった。ふう、と息を吐くと静留がこちらを見ている。視線が合うと静留はスーパーの袋から食材を取り出し始めた。

「牛乳買うてきたんやけど?」
「あ、ありがとう。今はいい」

なつきは流しにコップを置いた。
そう?と言って静留は食材の整理をしている。

「早かったな。7時頃って言ってたろう?」
「せやね。堪忍な。早う着いてしもた」
「いや。こっちこそ悪かった」

静留が訪ねてくる前にシャワーを浴び終えるつもりだったのに、御陰で間に合わなかった。この寒い中、随分外で待たせてしまった。
オフホワイトの柔らかそうなセーター姿の静留を何となく眺めながらなつきが考えていると、手は動かしたまま静留が思いついたように話し掛けてきた。

「舞衣さん来はったん?」
「ん? ああ、昨日な‥‥って、え?」

静留が笑って水切り籠に目をやるので、なつきはそれを追った。伏せられた食器に、部屋が片付いていることを言っているのだと気が付いた。

「面倒見ええ子ぉやし、なつき、仲ええやろ?」

昨日、部屋に遊びに来た舞衣に、つい言葉の弾みで今週は静留はこられないと話してしまった。じゃ、いっか、このままだとジャングルになっちゃうし、と舞衣は呆れたように台所や部屋を片付けてくれた。無論手伝わされたが。
静留もそうだが舞衣に至ってはクラスメートだ。しかも考えてみればひとつ年下だ。もう少ししっかりしなくてはな、と、なつきは今更のようにバツの悪い思いになった。

「‥‥おまえ、今日は来れないと言ってただろう?」
「夜なら大丈夫やて昨日、電話で言うた思うんやけど?」
「無理しなくていいんだぞ?」
「おおきに。うちなら平気どす?」
「‥‥‥」

静留はスーパーの袋の中身を整理する手を止め、なつきに微笑んだ。

「せやなあ、うちが忙しゅうて来られん時は、なつきのこと、舞衣さんにお願いしたらええね」
「‥‥何か手伝うか?」
「おおきに。それやったら髪乾かしてきて貰える? 風邪ひかんか心配やわ」
「‥‥」

静留は肉や牛乳のパックを持って、冷蔵庫の扉を開けている。
確かに、料理をするのでは何の役にも立てない。その上心配までされては増々立つ瀬がなかった。自分が悪いと解っていても腑甲斐無さに追い討ちを掛けられたようで、何だか釈然としない思いでなつきは洗面台に向かった。



両手のコーヒーカップをローテーブルの上に置いて、なつきはダークブルーのソファーに腰掛けた。夕飯を静留に作ってもらい、何となく悪いような気がして、食後になつきが淹れたものだ。

「冷めるぞ」
「先飲んどって」

台所からの返事に、なつきがコーヒーを啜っていると、ほどなくして静留はリビングにやって来た。おおきに、頂きます、と隣に座った静留の声に、うん、とも、む、とも付かないような小さな返事をする。

「ん、おいし。なつき、コーヒー淹れるの上手やねえ」
「おまえな。機械で淹れてるんだぞ」
「機械使うたかて誰でも美味しゅう淹れられるもんと違いますえ?」

そんな訳あるか、と内心思い、なつきはもう一口コーヒーを啜った。一応、お礼のつもりなのだが、静留のようにはお茶は上手く淹れられそうもない。何より不味くても飲んでくれそうで困る。結局まともに出せるのはコーヒーメーカーを使って淹れたコーヒーくらいだ。

情けないような思いでなつきが横目で静留を見ると、静留はローテーブルの上に置いてある本に気を惹かれたのか、カップを置いて本を手に取った。

「攻略本?」
「ん? ああ、舞衣の忘れ物だ」
「舞衣さん、ゲームしに来はったん?」
「ああ。楯に勧められたらしいんだが、クリア出来ないって泣きつかれた」

そうじゃないってっなんでそっちに行くのよもうっなどと、きゃーきゃー騒ぎながらテレビ画面の前でじたばたしていた舞衣の姿を思い出して、なつきはふと笑ってしまった。声と身体とは裏腹に手元は見事に留守になっていた。

「あいつはゲームなのに自分の身体が動くからな」

結局、普段あまりゲームをしないらしい舞衣の代わりに出来ない箇所をクリアしてやった。まあ、部屋の片付けをしてもらったから貸し借りはなしだ。

「せやなあ。なつきはゲーム得意やし」

そう呟きながら、興味があるのかないのか、静留は攻略本を眺めている。頬に落ち掛かる薄茶の髪越しの横顔。俯き加減に手元を見ているせいか、何故だか少し淋しそうにも見える。

コーヒーの憩うような清しいような香りが漂う。
こっちを向くな、と何となく思う。
顔を上げ掛ける静留に、なつきは視線を前に戻した。
静留は本を広げたまま、ローテーブルの上のコーヒーカップを手に取った。
なつきの視界からカップが消える。

  ねーなつき、これ使っていいの?
  ああそれ静留のだからそっちを‥‥何が可笑しいんだ。

どこか困ったような笑みを浮かべていた舞衣を思い出す。
一人暮らしの部屋に、自分以外の人間専用の食器。
他の人間がどうしているのかは知らない。でも確かに特殊なのかも知れない。
ただの友達同士では多分ありえない。

なつきはコーヒーをもう一口飲んだ。
なんとなく落ち着かなくて居心地が悪い。

「なんや難しいんやねえ」
「え?」

静留はカップをローテーブルに置き、本を閉じるとそれも置いた。

「コマンド言うん? 複雑やね」
「そうだな、結構複雑だ」

隣に座る静留の気配。
ふたりきりの部屋。
なつきはコーヒーを飲み干すとカップをローテーブルの上に置いた。

「‥‥‥」

部屋はいつもとは少し違った風に片付いている。
静留は静かにコーヒーを飲んでいる。
なんとなく、沈黙が落ちた。

潜むように時が行き過ぎる。
暫くして、静留がカップをローテーブルの上に置く、かたり、と硬質な音がした。いつもなら、こんな時は、なつき?と聞いてくるような気がするのに、静留は何も言わない。

不意に静留が右手をソファーに突いて、僅かだけなつきの方へ身体を寄せて座り直した。
何故かどくん、と心音が痛い。
なつきが前を向いたまま黙っていると、静留はそのまま少し身を乗り出してなつきの前のカップを手に取り、ソファーから立ち上がった。なつきが静留を見上げると、自分のカップも持って、静留はなつきに向かって笑みを浮かべた。

「ごちそうさま」
「ああ」

台所に消える静留を見送って、なつきは視線を落とすと少し険しいような表情で虚空を見つめた。



平坦な道路を走るバイクは安定していて何も意識を割く必要がない。
腕の中、なつきの身体がゆっくりと呼吸しているのが解る。今日に限って妙に生々しい。
乗せてもらう時に、髪を纏めているなつきの首筋にふとシャワー上がりのなつきの白い肌を思い出してしまった自分が悪い。鼓動の速さがバイクの振動に紛れてくれない。
喉が、乾くような気がする。いや乾いているのは喉ではない。

気を逸らそうと、はあ、と息を吐くとヘルメットに籠ったそれが酷く熱い気がする。静留は苛立ったように眉を顰めた。

横座りになっているからしがみつくしかない。
けれど回した腕に違う意味が混ざりそうで震えそうになる。
考えまいとしても、腕や胸に感じているなつきの感触からは逃れられない。一度捕われたそれに溺れそうになる。もどかしいような気がして遣り切れない。
吹き曝されて寒いのがせめてもの救いか。なつきに気付かれても誤魔化せる。
早く家に着いて欲しい。今すぐ腕を離したい。

夜の街並にはドゥカティの爆音と数台の自動車のエンジン音。
規則正しく過ぎる街灯。シャッターの降りた店。冷たい風。

「‥‥‥」

華奢な腰に回した腕の下でなつきの腹部が息づいている。
確かな呼吸。脈打つ鼓動。血の巡り。服の下には白い肌。
息は熱いだろうか。肌は暖かいだろうか柔らかいままだろうか
熱を帯びさせたらどんなにか──

腕や背中や腿までぞくりと肌が粟立った。
静留は一度きつく目を閉じ、強く溜め息を吐いた。籠る熱。
罪の元でも一度知ってしまった肌の甘さは覚えている。
虚しさと嫌悪が込み上げて、口許に醒めたような笑いが思わず浮かぶ。

滑稽過ぎやわ。
なつきはそんなん望んでへん。

静留はなつきの背中から顔を背け、流れる暗い街並を見つめた。
この寒い中、わざわざ送ってくれているのに、後ろに乗せた人間が自分に欲情していると知ったら、なつきはどう思うだろう。
二度と乗せてはくれないだろうか。

情けないのか淋しいのか悲しいのか。
ただ胸が焼ける。
なつきがそんなことを望むはずはないのに。

「‥‥‥」

顔を上げていられずに、静留は俯いて滲んだ視線を車道に落とし、自嘲混じりの冷えた笑いを小さく零した。

‥‥ほんま、滑稽やね‥‥

お陰で余計なことは頭から離れたが、今日は少し疲れた。
こんなことがある度に、違うのだと思い知らされてしまう。
緩慢に確実に、心を散らされてゆく。

先の信号が赤なのか、バイクが減速した時、道の段差か何かで後輪が跳ねた。
知らず知らず避けるように身体を離していたせいか、静留の上半身が少し前にのめり、なつきに回した右手に反射的に力が籠った。低速で走っていた重心のずれたバイクは僅かにバランスを崩し、直後に少し加速して後輪がくりんと横に振られる。

「‥!」

思わずなつきにしがみつく。一瞬遅れて静留の背中にひやりと熱いような寒気が散った。

なつきに怪我させとったかも知れん。

白くすべてが飛んで、ただ、ぎゅうと心臓が冷えた。
信号待ちで、すまないと謝るなつきにヘルメット越しに首を横に振り、なつきの背中を見つめ、静留はひっそりと項垂れるような溜め息を吐いた。
ひとりになりたかった。




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