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静留が贔屓にしている和菓子屋は閉まっていた。その軒で雪を眺めている人影を見掛けてなつきは少し歩調を速める。靴の裏に雪が貼り付く。気配に気付いたのか、白いコートに薄茶の髪を微かに揺らして静留が振り向いた。

「おはようさん」
「まったく。何やってるんだ」
「何やろね。まあ、雪やし?」
「‥うるさい」

なつきは静留から目を逸らし、紺色の傘に積もった雪を軽く振るい落とした。吐いた息が白く昇ってゆくのを追うように、そのまま雪空を見上げる。

実際、特に意味はなかったのだ。
今朝、寒いなと思って目覚めたら、外は一面雪景色で。
休みなのに平日と同じくらいの時間にすっかり目が醒めてしまって。
ちらちらと空から溢れ落ちる雪を眺めながら出来合いの惣菜パンを齧ってコーヒーを飲んでいたら、ふと、雪の中を歩きたくなった。静留と一緒にバイクで出掛けるのはお預けになったが、こんな雪の中、会いに行くのもいいかな、と。

雨だと外に出るのが億劫になるのに、雪だとそうでもないのは空が明るいせいだろうか。風が弱いので、緩やかな曲線を描いて不規則に踊る白い綿毛のような雪はどこか誘うようだった。

結構長い間黙り込んでしまった気がしてなつきが静留を見ると、空を見上げていた視線を静留はすぐになつきに移した。白い息を洩らして、どうしたと問うような瞳で顔を僅かに傾げている。

「おまえ早かったな。公園って言ってただろう?」
「ここ通るん解ってたし。ここやったら屋根ありますやろ?」
「寒くないか?」

返事の代わりに静留はなつきの肩に手を延ばした。
静留は傘に合わせたような濃紺のコートに落ちた純白を手袋を嵌めた手で払って、なつきの首にマフラーをきちんと巻き直す。

「ほっぺた真っ赤や」
「あ、うん‥行くか」

静留に愛おしむように笑み掛けられて、照れくさくなってなつきは視線を逸らした。通りを公園の方へ向かって歩き出す。
あまり通る車も人も多くないのか、足下の雪は柔らかくきゅうと音を立てる。この分では今夜は道路は凍り付くだろう。

「バイクはまた今度だな」
「せやなあ。積もるみたいやわ」
「けど、風がないと結構暖かいな」
「雪に変わる時、気温上がるさかい」

明るい薄紫色の傘の影で、静留は笑って言葉を続けた。

「風があってもこの気温やったらバイクの方が寒いやろね」
「まあ、あれは体温削られるだけだからな」
「我慢比べみたいやし」
「身体も動かしていないから寒くなるだけで」

言いながらなつきも笑った。馬鹿みたいだがこの季節にバイクで走るのが好きだ。それに、ふたりで走っているのは楽しかった。今日バイクで出掛けようと言い出したのは静留の方だ。だから静留もきっと嫌ではないのだろう。

「ほんまに好きなんやねえ」
「え? ああ。ひとりで走るより楽しいしな」
「そうなん?」
「うん。信号待ちとか、ひとりだと話し相手もいないし、車は暖かいんだろうなとか、結構虚しくなったりする」

たとえどうしようもなく寒くても、一緒に走っているのは楽しい。
信号待ちでの、寒いな、休むか、といった他愛もないような、でも一緒でなければ解らない会話。
言葉にしなくても、一緒に運転しているような静留の気遣い。
ひとりで走る時より暖かい背中。
同じものを見て、同じ寒さを感じて。
そんな小さな出来事が積み重なって、ふたりでいる事が沁み入るように伝わってくる。当たり前の事なのに、極寒という環境が、盟友めいた感情とともに尚更それを身に沁みさせる。

「なつきは車には乗らへんの? 車やったら寒い事あらへんし」
「車? そうだな、免許はもう取れるのか」

考えた事なかったなと呟き、なつきは足下に気を付けながら歩く。

「それより限定解除の方が欲しいな。そうか、もう取れるんだった」

なつきは立ち止まって、靴底に付いたシャーベット状の雪を僅かに露出している道路に擦り付けて落とした。微かに弱まった牡丹雪の中、静留を見ながら言葉を続ける。

「やっぱり寒いの嫌だったか?」
「ううん、そうやない」

目を伏せ、軽く首を降って、本当だというように静留は視線を上げて語りかけるように微笑んだ。
妙に真摯に否定されてなつきは少し面喰らった。羽のような雪の中、寒さで少し頬を染めた静留が、何だかやたらと綺麗に見える。何となく目のやり場に困って、なつきはがつがつと道路を蹴って、氷を靴から剥ぎ落とす振りで俯いた。

「取れた?」
「ん‥。で、なんだっけ?」
「ああ‥なつき乗り物好きやろ? せやから車はどうなんかなって」
「そうだなぁ」

確かに冬に乗るのなら車の方が暖かくていいのだろうが、特に惹かれるという事もない。なつきにはどうもイメージが浮かばなかった。

「車か。便利なんだろうが、なんかピンとこないな。学校に乗っていく訳にもいかないし」
「そら無理やろなぁ。バイクかて目ぇつけられてはるんやし」
「ふん」
「まだ外で着替えてはるん? 女の子なんやしちょお考えな。それに寒いんと違います?」
「余計なお世話だ」

からかうような静留に、なつきは少し不機嫌な顔になる。

「確かに寒くはないだろうけど‥‥車になんか乗ってたら、足に使われるに決まってる」
「足どすか?」
「他の奴等はまだ運転できないしな」

乗りたい車がある訳でもないし、まあ、大体4人位は乗れるのが普通だ。頻繁に頼まれるとも思えないが、舞衣あたりに買い出しの足を頼まれそうな気もする。

「今もそないよお言われるん?」
「え?」
「車やったら足に使われる言わはるから。今もなんかなって」
「あ、バイクか。そんなこともないけど」

道の先に公園の並木が見え始めた。風に踊る雪に白く衣を着せられて、撓わに膨らんでいる。

「ああ、でもこの間、奈緒に月杜まで送れって言われたな」
「送ってあげたん?」
「いや? メットもないし。自分が被るから貸せとか言うんだぞあいつは。それに具合でも悪いならともかく、バス待つのが寒いからとか馬鹿な事言ってたし」

まったく、と少し呆れたように口を尖らせたなつきは、バイクの方が全然寒いのにな、と静留に向かって笑い掛けた。こればかりは冬のバイク乗りにしか解らない。

「ほな結城さん、寒いまんまにしはったん? つれない事しはるわ」
「いや、丁度バスが来た。バスの方が寒くないだろう?」
「それやったらええんやけど」

かなり弱まった雪の中、暫く黙って並んで歩き、公園の手前あたりで静留がぽつりと呟いた。

「結城さん、バイクの方が良かったん違うやろか?」
「はあ? 寒いから乗せろって言ったんだぞ?」
「そやかてバイクの方が寒いし、おかしい事ない?」

静留の言葉になつきは首を傾げた。言われてみればおかしいような気もするが、単に冬のバイクの寒さを知らないだけではないのか。それに奈緒はちゃんとバスに乗っていた。バイクの方が良い理由がない。

「バス来ぃひんかったら乗せてあげたん?」
「さあなあ」

具合が悪いなら送りもするが、ただの足として乗せてやるかどうか今となってはなつきには良く解らなかった。それよりも、公園の入り口を抜けて開けた視界に映る風景に心を奪われる。

「うわ、真っ白だな」
「綺麗な雪野原やねえ。来た時より積もってはるわ」

多分牡丹雪に変わったせいで雪の嵩が増したのだろう。思わず足跡を付けて回りたくなるような銀世界。公園の真ん中辺りで子供が数人、わあわあと雪遊びをしている。雪だるまの周りで雪玉を投げあっているようだ。
なつきは立ち止まり、子供達の様子に暫く目を遣っていた。雪だるまなら、なつきも昔作った事がある。

「なつき」
「あれ、静留?」
「いきますえ」

いつの間にか傘を畳んだ静留が、少し遠くから何か投げて来た。咄嗟になつきは傘で避ける。ぼふ、と傘の布地に重みが掛かり、表面に付いていた雪が落ちた。

「うわ、なんだいきなり」
「何て。雪合戦」
「ば、い、幾つだおまえはっ」

ぽい。

返事の変わりに雪玉が飛んで来た。今度もなつきは傘で受ける。

「こら静留っ」

ぽいぽい。ぼふ、ぼふ。

軽く握っただけなのか、紺色の傘の表面に雪がへばりついて白い花を咲かせる。

「んー、楯使うんはちょお反則やね」
「何を‥」

反則と言われて、なつきは少し向きになった。やおら傍らに傘を置く。静留を見ると、次の雪玉をもう手袋の上に構えている。飛んで来た雪玉を後ろに躱して、なつきは咄嗟に地面の雪を掴む。

実はなつきは雪合戦をした事がない。
今にしてみれば、HiMEである事を幼少の頃より一番地に知られていたからだと解るが、まだ母親が生きていた頃、同年代の友人と呼べる者はいなかった。ある意味、隔離された世界でHiMEの力をいつか得る者として護られ、育てられていた。一番地から見れば貴重な被検体。無理からぬ事と言えた。
そして母親の死後、退院し学校に通えるようになり、雪が積もる頃には、もう既になつきは周囲を拒絶していた。

ちらつく雪の中、静留はなつきが体勢を整えて雪玉を作るのを待つようにおっとり構えている。なつきはどの程度の力で投げたものやら見当が付かずに、迷いながら雪玉を投げてみた。

「え?」

ひょいと、あっさり静留に見切られる。静留は一歩も動いていない。上体だけで躱された。

ぽいぽいっ。

「うわ待て」

軽くだが的確に2連発で雪玉が飛んで来る。全て足下狙いだ。後ろに2度下がって躱し、次の雪玉を仕込むと、なつきは今度は少し本気で投げてみた。舞い散る雪の上に薄茶の髪が残像を残して跳ねる。軽く身を退いた静留に、また綺麗に躱される。

ぽいぽいっ。

「だから何で倍返しなんだっ」
「せやけど当たってへんしー」
「変だろそれっ」

避ける毎に静留との距離が開く。静留の投げる玉は当てると言うより全て後退させるような足下への物だ。静留に躱されるのは遠過ぎるせいだと気がついて、なつきは少し大きめの雪玉を作って、雪を纏めている静留の不意をついて駆け寄った。
まさかこの足場の悪い雪の中、駆けて来るとは思わなかったのか戸惑ったように静留は無防備だ。

「──!」
「えっ?」

雪玉を投げ付けてしまう直前、顔を上げた静留の、泣きそうな顔が一瞬なつきの目に飛び込んで来た。

まず‥っ!

べしゃっ、と雪玉が崩れる音。
なつきは咄嗟に外そうとしたのだが、運悪く静留が躱した方に雪玉がすっぽ抜け、結果直撃を避けただけだった。

「すまない、平気か?」
「‥‥ん、降参。うちの負けどす」

軽く頭を降って立ち上がり、冷たそうに顔を顰めて笑いながら静留は言った。目を庇ったのか、顔の左側面と髪が雪まみれになっている。

「馬鹿。こんなの勝っても嬉しくないぞ」
「やってみたいて顔したはったけど?」
「いや、それは‥‥でもなあっ」

あんな顔をされたのでは、罪悪感しか残らない。
静留は手袋を外してポケットからハンカチを出すと雪を払い出した。顔はともかく、髪は見えないので落とし辛そうだ。おまけに今も雪は降っている。

「ちょっと動くな。落としてやるから」
「かまへんよ、こんなん自分で出来るし」

なつきは開いたままで放り出していた自分の傘を拾って来ると、静留に無理矢理持たせた。手袋がびしょ濡れなのに気が付いて両手とも外し、コートのポケットに突っ込む。そのまま指で、静留の髪に絡んだ雪を落とし始めた。

「なつき、ええて。手ぇ冷たいやろ?」
「自分じゃ見えないだろ」
「せやけど‥」

紺色の傘の影の下、ふと視線が絡んだ。白い吐息が混ざる。
困ったように少し俯き加減の静留と、髪の雪を払っている自分の右手。
心持ち見上げるような赤み掛かった静留の瞳は何か言いたげだったが、静留は口を噤んでいる。なつきは急に落ち着かなくなって視線を静留の髪に戻した。静留の頬が赤いのは雪が当たったせいなのか。指先で雪が溶けてゆく。柔らかな薄茶の髪が濡れてしまう。

「えと‥ちょっと、それ貸してくれ」

ハンカチを受け取る時に触れた静留の指先は冷たかった。なのにそこから熱を帯びるような気がする。静留は黙って俯いたまま動かない。なつきはハンカチで残りの雪を払った。

「‥‥こんなもんかな」
「おおきに」
「濡れちゃったな、悪かった」
「ええんよ、うちが始めたんやし。気にせんといて」

なつきは辺りを見回すと静留の傘の方へ向かった。雪混じりの大気が熱を孕んだ頬に冷たくて心地よい。明るい薄紫色の傘を手に取ったところで静留に静かに傘を差し掛けられた。

「行こうか」

なんとなく傘を渡しそびれてなつきが言うと、静留は少し微笑んだ。そのまま一本の傘で小降りの雪の中を歩く。子供達はまだ雪合戦をやっている。なつきはその歓声に少しだけ雰囲気が和んだような気がした。視線を落として穏やかな笑いを含んだ声でなつきは口を開く。濡れて色の変わった靴の爪先。

「本当は、ちょっとやってみたかったんだ」
「なつき?」
「ありがとう。でも、もういい」

なつきは顔を上げて、静留に真直ぐ微笑んだ。静留は少し眩しいように瞳を伏せ、黙ってなつきの紺色の傘を差したまま歩いている。

「なあ、さっき」
「ん?」
「いや、なんか静留、泣きそうな顔してたろう?」
「せやった? いつ?」
「雪当てる前」
「どうやろなあ‥解らんけど、なつきがあんまり怖い顔したはったからやないやろか」
「な、そんな顔してないっ」

まったく、となつきがむくれると、静留は笑った。なつきの方へ傘を差し掛けてゆっくり並んで歩いてゆく。

「‥‥なあ」
「なんだ」
「‥バイク、うちが乗せて言うたら乗せてくれはる?」
「ん? ああ」

即答するなつきに静留は苦笑するようだった。そのまま黙って雪を踏み締めて歩いている。いつも乗せているのにと考えて、なつきはふと奈緒の事を思い出した。ただの足として?
自然と、何一つ抵抗なく静留にヘルメットを渡している自分が目に浮かぶ。どちらかと言えば静留の方が遠慮しそうだ。乗せてと言われる前に乗れと言っている気がする。

「そうだな、誰も乗せないとは言わないけど。多分、奈緒の具合が悪かったのなら送ってたし」

え、と驚いた顔をして静留はなつきに振り向いた。それから前を向いて柔らかく微笑む。

「せやね。なつきは優しい子ぉやし」
「え、いや、まあそれはいいとして」

具合が悪い友達を送る事の、どこがどう優しいのだか良く解らない。なつきは痒くもない頬を左手で少し引っ掻き、気を取り直して言葉を続けた。

「静留なら、ただの足でもいつでも乗せるから」

静留は答えず前を見ている。

「ヘルメットも貸してやる」

それからなつきは苦笑しながら続けた。

「ま、おまえがそんな我が侭言うとも思えないけどな」

何を思ったのか、静留は足下に視線を落として歩いている。
手袋を外して傘を持つ静留の右手は赤くなっていた。気が付けばなつきの方に傘は傾いている。こういう所が、と思いながらなつきは左手で傘の柄を持った。

「返せ、持つから」
「うちは我が侭やと思います」
「最初に乗れって我が侭言ったのは私だ」
「なつきは我が侭な事あらしません」
「おまえは我が侭じゃなくて頑固なんだ」

お互い目が合って黙り込む。わざとなのか、静留は少し心外そうな顔をしている。なつきは軽く笑ってしまった。

「なんやえらい言われようやなあ。なつきかて我が侭いうよりいけずなん違いますん?」

戯れのように拗ねた口調でそう言って、静留は小さく笑ってなつきの方へ左手を伸ばした。それに促されてなつきは閉じたままの明るい薄紫色の傘を静留に渡す。

「またバイクで何処か行こうな」

返事の代わりに、静留は柔らかく笑って頷いた。

舞い散る白い空の羽。
濃紺のドゥカティの代わりに、紺色の傘の下。
ひとりで走るより、ふたりで走った方が暖かい。
ひとりで歩くより、ふたりで並んで歩いた方が、やっぱり暖かい。
バイクで走るのもいいけど、こんな風に歩くのもいいかな、と、なつきはふと思った。

だってほら、雪だから。


(了)




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