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スーパーで会計を済ませて財布を仕舞っている時、なつきは買い忘れていたバイク雑誌がある事を思い出した。
先に荷物を運んで、買った物を2つ目の袋に詰めている静留に声を掛ける。

「静留、ちょっと本を買ってくるから、向いの本屋の前で待っていてくれないか?」
「ええよ」

なつきは一足先に店を出て、道路を挟んだ本屋に向かった。店中程のバイクのコーナーで目当ての雑誌を手に取り、数人並んだレジで会計を済ませて、約束通り店の前に向かう。静留の姿が見えた。
スーパーの白い袋を持ったまま、左半身をなつきに向けて静留は空を見上げていた。
その様子に、ふと、なつきの足が止まる。
人の波の向こう、立ち尽くす静留の周りには、何故だか誰ひとりいないような気がした。

「どうした?」
「ん‥? お買いもん終わったん?」

改めてなつきが静留の方へ近付いて声をかけると、静留は顔だけなつきの方に振り向いた。スーパーで別れた時と様子は変わらない。
それでも先刻の静留が気持ちに引っ掛かって、なつきは静留を見つめたまま、黙って右手に持った本屋の袋を少し持ち上げる。

「なん‥ああ、お月さんやなあ、思て」

なつきは静留が見ていた方を見る。深まった秋空の青の中、見れば確かに、尖った両端をした薄く透けるような真昼の月。
すぐになつきは静留に視線を戻す。聞きたかったのはそういう事ではない。先程よりゆっくり、幾分優しい声で問い直した。

「どうかしたのか?」
「どう、て、なんどす?」

静留はなつきの言葉に少し首を傾げる。

「前に月見をした時と、何か様子が違うから」

ほんの一瞬、静留の表情に翳りが過った気がして、なつきは思わず一歩近寄った。

「いややわぁ、なつき、お月さんやなくて、うちのこと見てくれてはったん?」
「え?」
「うちの何見てはったん?」

どこ?とでも問うように笑った静留に顔を覗き込まれる。

「ばっ、こんな所で何を言い出す!」
「そない大声ださんと。目立ちますえ?」

言われてなつきは周りを見回す。買い物袋を提げた中年女性の怪訝そうな視線とぶつかって、なつきは思わず視線を逸らした。
静留はいつもと変わらない様子でなつきをからかって遊んでいる。なつきも解ってはいるのだが、どうも反応してしまう。

「そない照れんでもええやないの」

声を押さえ気味になつきは口調だけで怒鳴る。

「照れてなどいない! ほら、帰るぞ!」
「せやね。お昼、ちょう遅くなってしまいましたわ」
「う‥」

昼の買い物が遅くなったのは、なつきが部屋を片付けようとして、逆に静留の手間を増やしたせいだ。なつきは返す言葉がなくて商店街の人混みの中を歩き出す。それでも静留が気になって顔だけ振り返ると、にこ、と笑み返された。

思い過ごしか‥

立ち止まって静留が追い付くのを待ってから、なつきは自然といつもより少しだけ歩調を緩めて、ふたりで並んで歩く。
休日の正午を回った雑踏は、少し気忙しさを増していた。残り半日の憩いを惜しむように人が溢れている。なつきは人混みは嫌いだったが、今はそれがあまり気にならなかった。

「ん?」

前方の混雑の中に見知った顔を見たような気がして、なつきは人混みの向こうに見隠れする影を確かめようと頭を動かす。

「どないしたん?」
「いや、前に」
「前? ‥‥ああ、あれ舞衣さんやねぇ」

商店街の道と横道が交差している角のブティックの前で、舞衣が1人で立っていた。舞衣はディスプレイをちょっと見ては通りの方を見たりと、どこか落ち着かない。人でも待っているのだろう。近くまで来たところでなつきが声をかけた。

「舞衣、珍しいなこんなところで」
「なつきっ ‥と藤乃先輩。お、お久しぶりです」

何故か舞衣はあからさまに狼狽えていた。

「舞衣さんもお元気そうでなによりどすなぁ」
「あはは、はい‥」
「舞衣、ほら、買って来たぞ‥ってあれ?」

割って入った声に、あちゃー、といった風情の舞衣は、ちょっと照れたように今度は綺麗に笑った。

「藤乃先輩じゃないすか。それに玖我も」

横道から出て来た楯は、両手にクレープを持っている。なつきが道に目を向けると、軽トラックを改造したクレープ屋に少し人が並んでいた。

「楯くんも一緒やったんどすか。うちら、野暮やったみたいやね」
「だな」

いえそんな、と照れる舞衣達と二言三言挨拶を交わし、じゃあな、舞衣、楯、となつきは会話を終わらせた。ちょっと照れくさそうに、またね、と返事をする舞衣達を後にして、再び二人は歩き出した。

舞衣は楯とデートか。神崎だ詩帆だと色々あるようだが上手くやっているようだな。

友達の幸せは単純に嬉しい。なつきは少し暖かい気分になって、優しい顔になる。それを見ていたのか、横から静留に声を掛けられた。

「なんや嬉しそうやね」
「ん? そうか?」

声に振り向いて、なつきは静留の顔を見る。静留は薄く微笑んでいた。その瞳が少し淋しそうに、なつきには思えた。

そう、か‥

なつきはなんとなく視線を外して前を見て歩く。
静留が優しいから、なつきはつい忘れそうになる。
静留の望むもの。望む形。
舞衣と楯のように誰からも祝福される形ではない、その想い。

「‥‥‥」

沈黙が落ちた。先程までとは違って、なつきは居心地が悪かった。
雑踏が透過してゆく。色も残さず。
人波に紛れているのに、自分と静留以外誰もいないような気がした。
ここに在るのに、世界から切り離されて、淋しい気配を帯びてゆく。
なつきは無言で人混みの中を歩く。静留も何も話し掛けては来ない。
道の先から、カン、カン、カン、と踏み切りの警告音が聞こえてきた。
それすらも何か遠い気がする。

邪な恋、と静留は言っていた。
邪。自らの気持ちを否定する言葉。
人はそれぞれ違うものだとなつきは思う。当たり前の事だ。
けれど、その自分の違いを否定されるのは辛い。それは別の話だ。
しかも是非もなく一方的に否とされるのは。
ましてや自分自身もその違いを良しとしていないのならば尚の事。

閉まった踏み切りに人の流れが淀んでいる。
ぽつりぽつりと、止まっているような歩調でしか前に進めない。
やがてなつきは立ち止まった。少し後ろに静留の気配。

私も一度は‥否定したんだ。

ごうっ、と大気を突き破るように風を巻き、金属的な轟音を立てて電車が踏み切りを通りかかる。風圧に一瞬押され引き戻されて蹴立てるような音に顔を嬲られる。なつきは片眉を眉根に寄せた。

今更になって胸が潰れるような気がする。
自分も傷ついたが、思えば静留の事も酷く傷つけた。
でも、あれはあの時の素直な気持ちだ。
なにをされたのか分からない曖昧な記憶が不安だった。
静留の想いを初めて知って動揺した。
静留が、なにか別の、知らない誰かのようで怖かった。

長く規則的な轟音を残して電車が通り過ぎた。警告音が鳴り止んで、踏み切りが上がる。ざわざわと人々が動き出す。なつきも歩き出した。

だが気持ちの整理は静留を止めると誓った時についている。
知らない誰かではなく、自分が気づかなかった静留がいただけだった。
あれからやっと静留が少しずつ見えるようになった気がする。
そして沢山の時間と出来事を積み重ねて、静留の近くにいたいと思う、今の自分がいる。

広い十字路に突き当たり、ようやく人混みが途切れた。
なつきは歩きながら静留の横顔を見つめた。

‥違う。忘れそうになるんじゃない。
静留が受け入れてくれるから、私は甘えているだけだ。
静留が笑ってくれるから──

視線に気付いたのか、静留がなつきの方を向いた。
なにかと問うように、静留は小首を傾げる。なつきは立ち止まった。

「すまない、忘れていた。荷物をよこせ」

手に持っている荷物を両方渡せと言っても静留は聞かないだろうな、と思いながら、片方持つから、となつきは付け加える。
静留は両眉をちょっと上げ、それから少し目を細めて小さく笑って言った。

「おおきに。ほなこれお願いします」

静留が差し出した右手の方の荷物ではなく、提げたままの左手の荷物になつきは黙って手を伸ばす。
静留といれば、これくらいの事なら解る。絶対に、こっちの方が重い。

荷物を受け取る時に僅かに触れた静留の手の温もりが、どうしてなのか酷く切なくて、隣にいたい、となつきは思った。たとえそれが静留を傷つけているのだとしても、我が侭だとしても、今感じた温もりを離したくない。
何か無抵抗な静留の様子に視線を上げると、静留は少し戸惑ったような顔をしていた。それから小さく息を吐きながら俯き加減にふわりと笑う。

「‥敵んなぁ」

顔を上げた静留は、慈しむような、微かにはにかんだような笑顔だった。

「おおきに」

そんなに大層な事をした覚えはなかったのだが、静留の様子に、なつきはやたらと照れくさくなって話題を変えた。実際かなり差し迫った要求を身体が訴えている。

「考えてみたら、今日は朝から何も腹に入れていないな」
「もう、またなつきは。ご飯食べんと身体に毒どすえ?」
「そうだな。昼はちゃんと食べるから」

なつきは静留と並んで、再び歩き出す。静留が言い含めるように言葉を続けた。

「好き嫌い言うたらあかんえ?」
「う‥」
「マヨさんも掛け過ぎたらあきません」
「わ、私の勝手だ!」

畳み掛けられてなつきが静留の方を向くと、静留はからかうような、ちょっと意地の悪い笑みを浮かべている。

「ほな、お昼ご飯自分で作らはります?」
「‥静留。あまり虐めないでくれ‥」

なつきはげっそりと肩を落とす。今日はもう、家事は懲り懲りだ。
ほんま、仕方ないなぁ、と楽しそうに静留が笑う。
うるさい、と不貞ながらもなつきも笑う。
なつきの部屋までもう少し。
静留から受け取った荷物は、ひとつなら、そう重くない。


(了)



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