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図書館で課題の為に借りた本を返して、なつきは中庭へと足を向けた。なんとかでっち上げたレポートと、興味のない本を手放したことで身軽になった気がして気分が良い。なつきはひとつ伸びをする。用も済んだし帰ろう。そう思って左肩に薄っぺらな鞄を担いで中庭を突っ切って行くと、命が猫と戯れていた。二匹の猫はどうやら野良猫のようだが、よほど命に懐いているのか、なつきが近付いても逃げようとしない。

「今日はひとりなのか?」
「蘭丸とミケも一緒だぞ。私は奈緒を待っているんだ」

なつきは無意識に舞衣と命を一組にしている自分をちょっと省みた。命だって、四六時中舞衣といる訳ではない。ただ、命は舞衣以外の人間には身体ごと甘えるようなことはしないから。

「どうした? 腹が減っているのか?」
「──いや。おまえは本当に舞衣が好きなんだな」

なつきは思ったことをそのまま口にしてしまったので、かなり話題は飛躍した。けれども命は迷いもせずに返事をする。

「ん! 私は舞衣が好きだ。なつきは違うのか?」

いや、となつきが少し笑うと、命は明るい笑顔を見せる。とても嬉しそうだった。自分の好きな人間を好きだと言われて、ただそれだけのことで真直ぐに喜んでいる。その姿に、なつきも少し笑顔になる。

「私はなつきも好きだぞ?」

ふ、となつきは命に笑いかけて、それから少し考える。
なつきはいつも、こういう時に殆ど返事をしない。でも、それでは伝わらないことがあることも今は知っている。そして、思っていることを言葉にしなくても伝えることができることも。

「すまない、ちょっといいか?」
「どうした?」
「いや、少しな」

ぽす、と命の頭になつきは右手を乗せてみた。よしよし、と頭を撫でると命は初め不思議そうな顔をしたが、にっこりと笑う。

「ん! だが、謝るのはおかしいぞ?」
「‥そうだな」

やっぱり私には難しいな‥

なつきが失笑していると、にゃー、と足下で猫が鳴いた。逃げるかとも思ったが、なつきがしゃがんでみても逃げようとしない。

「蘭丸もミケもなつきが好きだぞ」

確信を持っているのか、胸を張って命は断言した。命のこういう所は測り知れないとなつきは苦笑する。それでもそっと手を伸ばしてみると猫は気持ち良さそうに頭を撫でさせてくれた。もう一匹も寄って来たので順番に構う。動物にならなんら抵抗はない。嫌なら向こうが逃げるだけだ。
人に触れたいと思う時、受け止めて欲しいと思う気持ちが、動物に触れたいと思う時より強いのだろう。
そして多分、言葉で否定されるより、伸ばした手を拒絶される方が辛い。
言葉よりももっと素直な気持ちだから。

私は、それに怯えていただけかも知れないな‥

なつきはしばらく猫達と戯れていたが、ふと、不可解な気分を丸出しにした顔をして言った。

「‥‥命。何故お前は私の頭を撫でている」
「蘭丸たちが喜んでいるから、その代わりだ。それにさっきなつきは私の頭を撫でてくれた。されると嬉しいことは、しても嬉しいんだ。爺が言っていた」

明解な答えだった。
なるほどな、となつきは思う。自分がされて嬉しいことは、相手もされて嬉しい。そして、相手が嬉しいと思ってくれることが自分も嬉しい。
命の行動原理はシンプルだ。そしてそれはとても優しい感情だ。

「私もそう思うぞ。なつきは嬉しくないのか?」

正直なところ、年下の命に頭を撫でられても、嬉しいというよりは情けない。
だが、にっこりと満面の笑顔の命の気持ちを無碍にもできず、なつきはありのままを答えようとした。

「そう‥」
「あっははははは! なにやってんのアンタ!」

なつきの言葉を掻き消すように嘲笑が響いた。突然の大声に驚いたのか、猫が散るように距離をとって、伺うように声を見遣る。なつきが顔だけ声のした方に向けると、なつきと命を指差してシスター姿の奈緒が酸欠で死にそうな勢いで嗤っていた。

「奈緒、教会はもういいのか!」

命はなつきから離れ、奈緒の方に向かう。奈緒はまだ嘲笑している。

「ぶ、ぷぷっ‥み、命に頭撫でられてるなんて、命よりお子さまなんじゃないの? アンタいっつもスカしてるけどホントはまだママのおっぱいが‥」

言い切らずに奈緒は言葉を止めた。嘲笑をひき、切るように背けた視線の先を睨んでいる。
すらりとなつきは立ち上がる。それに気を惹かれたのか奈緒はなつきの方を向いた。なつきが奈緒の正面に対し、真直ぐに奈緒の目を見ると、奈緒は半歩だけ押されたように下がった。それを気取られまいかとするように奈緒は馬鹿にしたような目をなつきに向ける。

「なぁに? ホントのことじゃない。何か言いたいことでもあるワケ?」
「おまえは甘えられるんだから甘えておけ」
「な‥」

なつきは感傷もなく笑って奈緒に言葉を掛けている自分に、内心で少しだけ驚いた。てっきり言い合いになると思っていたのか奈緒は言葉を失っている。奈緒の母親は未だ入院生活を送っているが、少しずつよくなっていると聞いていた。

「じゃあな、奈緒。命、ありがとう」
「なぜ礼を言うんだ?」
「友達を紹介してくれただろう?」
「ん!」

そのまま踵を返してなつきは歩き出す。しばらくしてから背中で声がした。

「玖我っ!」

振り返ると奈緒が睨むようになつきを見ていた。呼び止めたのに何も言わない、への字に結んだ口。なつきには、今の奈緒の気持ちがよく解るような気がした。

やはり似ているかもしれない。昔の私に。

「気にしていない。だから気にするな」 

なつきは笑って奈緒にそう言った。奈緒と命の仲がいいのは良いことかも知れない。なつきは肩に鞄を担ぎ、再びふたりに背を向けてその場を後にした。
もうすっかり秋めいた風に吹かれて、なつきの素直な黒髪が流れる。

‥私には、おまえがいてくれたからな。

静留の顔が思い浮かぶと、無性に声が聞きたくなった。
静留はまだ大学だろうか。
特に用事はない。いつもならそれで掛けるのをやめてしまうのだけれど。
静留に電話をもらうと嬉しいから。

後で電話してみよう。

そう決めると、なんだか気持ちが弾んでなつきは駆け出した。


(了)



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